大阪・関西万博 Expo.2025
大阪万博訪問記 2025.7.10〜2025.7.13 新幹線や地下鉄等の公共機関使用
▼ 10日 大阪への移動  仕事を終えて18時の高速バスで金田から品川駅に渡る。首都高湾岸線が渋滞して大師経由に成ったが大きく遅れることなく品川駅に到着する。荷物が多いので駅に入ると「駅の外で夕食を摂る時間も有ったでしょう」と妻に言われ反省しながら売店で買い物をして待合室で食べる。そのうち新横浜周辺での豪雨により新幹線の運転が一時的に見合されていると放送が入り20:17の「のぞみ」が40分も遅れて出発する。新大阪駅には23時過ぎの到着に成り娘も体調が悪いため北浜のホテルまでタクシーで移動した。適当な運転手だったので私が道案内をしながら24時に成る前にホテルに到着し、シャワーを浴びて午前1時過ぎに就寝した。
▼ 11日 万国博覧会@  金曜日の平日チケットを確保した時点でメトロの夢洲駅に接続する東ゲートは11時以降しか無かったが西ゲートは10時に入場できるので申し込んでから調べると西ゲートのバスアクセスは大阪駅から大人2千円と異様に高いことが解り、最安価なのものがJR桜島駅から350円のバスであることが判明した。もちろん東ゲートに接続する夢洲駅から西ゲートまで炎天下で1.6kmを歩くか、400円のシャトルバスに乗るという選択肢も有ったし、桜島駅まで安価なJR線を乗り継いで行くという解決策も有ったが、私は天保山から無料の渡船で桜島に渡るという選択をした。このコース上には東日本大震災まで日本で最も低い山であった天保山[4.53m]の二等三角点が有るのも私には魅力なのである。
 朝6時に起床して荷物を整理して娘の荷物も私のザックにまとめてからホテルのバイキング朝食(1650円)を食べ、8:20に出発して地下鉄を乗り継ぎ大阪メトロ中央線の大阪港駅で降りる。コンビニで飲み物を購入し大観覧車を見ながら天保山公園まで歩き三角点を探しているうちに目前で9時の船が出港してしまった。待合室で25分ほど待ってから9:30の無料渡船で桜島に渡り、予約のためにアプリをインストールして個人情報を大量に入力して事前にキャッシュ決済をしたシャトルバス乗り場に行くとさほど混んでおらず並んでも乗れそうだったが予約が有ったので優先的に乗れたのは便利であったのだろう。18分で西ゲートに着くと平日にもかかわらず長い列ができておりバスの下車から35分でゲートを通過し万博の会場に入場したのは10:27に成っていた。
 
 ゲート通過から10分後に予約できるという当日枠を携帯で探すがほぼ満席で、空いても家族3人一緒だと予約が出来ず、何度目かのトライで確保できたのは19:45の枠だけだった。事前予約もすべて外れており自由入場の施設に並んで入るだけと覚悟するが、どれが自由入場の施設なのか公式サイトでは解らないなど使い勝手が悪い。
 ともあれ西ゲートエリアには翌日に来ないつもりなので先ずは未来の都市館を並んで見学し、出たところで空飛ぶ車のフライトを見学しているうちに午後に成っていた。それから3Dプリンターで制作したベンチを一瞥し、入場できない多くのパビリオンを見るだけで通り過ぎ、休みたいという娘に答え遅めの昼食を摂るためねぶたのあるフードコートに入るがテーブルも予約制で座れそうもない。娘が限界なので隣の少し空いている「世界三大料理」のトルコ料理の店に入り狭いテーブルに3人で座りケバブとポテトと瓶ビール1本で6千円近い価格に万博物価を体感する。
 娘の体調が戻ったところで大屋根リングに登り反時計回りに歩きながら上から特色ある海外パビリオンの建築物を楽しむ。しかし前日に風邪を引いて熱を出し学校を休んだ娘がもう休憩したいと云い歩かなくなるのでリングを降りて中国館の近くにある休憩所で2時間ほど昼寝をさせる。他にも多くの人が休んでおり入場しながら行くところがない人が多いことに驚かされる。なお、この日は中華人民共和国のナショナルディであったがイベントを見に行くことも出来ず、暑い時間を冷房の効いた休憩所で休み続けたのだが、イベントのため入場を止めている無人の中国館の写真が撮れただけでも幸せである。
 
 16時半を回り気温が少し下がってきたのでクラゲ館を見学し、静かな森を抜けてコモンズC館に入りイスラエルなど11国のブースを見て回り次いで向かいのコモンズB館に入る。そこで娘が公式のスタンプパスポート(1100円)以外にスタンプを押している人を発見し、自分のメモ用紙に押しても良いと気付いたようで23国ものブースを元気よく回り始める。
 外に出ると雷雲が近づいているというアナウンスが流れ、海側に向かいながら中国館かクウェート館に入ろうとしたが入場制限が行われており近くのバーレーン館に入ったところで夕立が襲い、パビリオンにも雨が吹き込む中で見学をして外に出ると雨が上がっていた。結果的に雨宿りをさせてくれたバーレーンに感謝をしながら薄暮の園内に出て唯一の予約が出来た施設である「いのち動的平衡館」に向かいながらライトアップが始まった建築物を見て回り、予約時間前にパビリオンに並んでいると近くのウオータープラザでナイトショーが始まった気配が伝わってきた。
 「いのち動的平衡館」ではLED照明により福岡伸一教授の命に対する世界観を体感して外に出たらナイトショーのクライマックスとなっていた。20時半に開催される2回目のショーを見るつもりだったので近くのベンチに座っていたら上空でドローンショー「One World One Planet」が始められ、着座のまま屋根越しに最後まで楽しませていただいた。
 最後のショーを見るためウオータープラザに向かうと開始25分前にもかかわらず既にほぼ満席の状況で、私は妻子と少し離れた席を確保して座り開始まで水面に反射する大屋根リングの姿を見ながら万博終了後にこの膨大な木材がどの様に活用されるのだろうかと考えていた。
 雨に襲われることもなく20:30開催で約30分に渡る「アオと夜の虹のパレード」を楽しんでから東ゲートに向かうがショーを見た全観客と各パビリオンや大屋根から降りてきた大勢の観客で混雑し、東ゲートを通過したのは21:32となり場内には11:05も滞在していたことに成る。ゲートの目前にある大阪メトロ中央線の夢洲駅が混雑することを防止するため導線は大きく迂回させられて長くなり駅構内に入るまで20分以上も歩かされ、平日でこうだから翌日の土曜日は早めに切り上げなければ大変なことに成ると覚悟を決める。
 堺筋本町で乗り換え北浜駅前のホテルには22:30を回って到着した。妻子がシャワーを浴びている時間を使って近くのコンビニにサラダやチーズとビールを買いに行き、深夜のニュースを見ながら飲んでいると翌日にはブルーインパルスが飛行することを知り、更に人が多くなるのだろうと混雑を覚悟してから眠りについた。
▼ 12日 大阪城〜万国博覧会A  前日のチケットは10時入場券であったが土曜日であるこの日は12時入場券しか確保できなかった。そのため午前中の時間を利用して大阪城を楽しむ計画とした。7時過ぎに起床して8時半に北浜駅から地下鉄に乗り森ノ宮駅に降りて大阪城公園に入る。ネットで調べた人気のベーカリーで500円の美味しいモーニングを食べ、万博会場が世間から懸け離れてたことを確認してから天守閣に向かって進む。しかし前日に私の携帯電話で24,067歩が記録されていたほど歩き続けた娘は明らかに疲れが残り、更に病み上がりで微熱が続く中で猛暑の城に登り始めたため天守閣の広場まで来たところで石垣に腰を下ろしてもう帰りたいと云い始める。午後からの万博に差し支えないように天守閣に連れていくことを諦め大手門に向けて降り始めるとブルーインパルスの通過が予定されるので西の丸庭園が無料で解放されていることを知り中に入って芝生に腰を下ろして休憩しながら天守閣を眺めた。その後に大手門を抜け難波宮跡公園にある谷町四丁目駅から地下鉄に乗り11:40に夢洲駅に到着した。前日程度の混雑であれば入場チケットの有効時間に成る12時にゲートに到着すると推定したが、地上に出て直ぐに見通しの甘さを思い知った。
 
 12時入場の列には既に沢山の人が並ばされており11時入場の列も処理が終わっていないようだった。この日の大阪市の最高気温は36度の予報だったことを朝のニュースで見ていたので日傘を差しながら列に並ぶが立っているだけで腕から汗がしたたり落ちる。何度も蛇行する列は停止している時間の方が長く、結局ゲートを抜けたのは13:03で電車を降りてから83分も時間を費やしたことに成り、これだけ混雑していても予定の入場者に達していないのなら予定通りに人が来た時は大丈夫だろうかと心配に成った。しかし帰って調べてみるとこの日の来場者数は6月28日の202,819人に次ぐ記録となる189,672人であり、木更津市の人口の1.4倍が押し寄せたらこの様な事態になることは仕方なかろうと同情する。
 
 二日目は最初に大阪ヘルスケアパビリオンに入りiPS細胞で作られた心筋細胞や人間洗濯機等の話題の展示を見学し、出てから日本館に行くと現実的に予約が無いと見ることが出来ないことが解ったのでリングを横切って外国パビリオンのエリアに入りテントの下で並ぶことのできるフィリピン館の展示を見てアバターで踊り外に出ると大屋根の上には黒山の人だかりができておりブルーインパルスの到着を待っている所であった。私たちも地上でその時を待ち空にスモークで円を描く雄姿を見てからコモンズAでスタンプを押し廻り、未来食堂で遅い昼食を摂ってからコモンズDに入り再びスタンプを探す娘に付き合い次々と足早にブースを回りながら生涯行くこともなさそうなアフリカや中南米、太平洋州の小国の名前を見ながら大体どこにあるのか解る自分に感心する。初めて名前を見たエスワティニは2018年にスワジランドから名称変更したと知って腑に落ちたが1975年に独立を果たした人口約22万人のサントメ・プリンシペだけは聞いた記憶の無い国家であって、知らない国がまだあるのかと世界の広さを実感した。
 
 外が暗くなり始めると東ゲート側に戻り、19時半に開催されるプロジェクションマッピングである「One World One Planet」を見るため多くの人と同じようにシャインハットの前の地面に座り込み、内外のアーチストが作成した映像を楽しむ。
 映像が終わる前に近くのエレベータを使って大屋根リングの上に登って会場の夜景を楽しみ、階段で降りて公式グッズを販売する売店に行き土産物を探すが売店内の混雑とミャクミャクの絵が付くだけで相場より高くなっている商品に嫌になり娘とともに外に出て妻の買い物が終わるのをベンチの上で待ち、ゲートを通過したのは20:38に成っていた。この日の滞在時間は7:35ほどであった。駅までのルートは前日と同じように遠回りを強いられているが渋滞することもなく歩き抜けられ前日より空いている地下鉄でホテルのある北浜駅まで戻った。
 昨日まで二晩続けて家族の夕食を楽しむことが無かったのでホテルの近くで発見していた「餃子の王将」に立ち寄り21時過ぎでも夕食に炒飯と餃子を食べることが出来た娘は大満足であった。私もお得なビールセットやおつまみを頼み、追加でハイボールを3杯飲んでも4千円程度で収まる懐への優しさは万国博覧会で傷んだ貨幣価値を日常に戻してくれて満足した。なお、この日の歩数も20613歩と大台を超えており、部屋で入浴したら直ぐに眠りについてしまうようにハードな日々が続いている。
▼ 13日 万博記念公園  日曜日はホテルに近い店で前日より貧相なモーニングを500円で食べ、荷物を整理してチェックアウトする。最終日には昔の万博跡地である太陽の塔を見たいと妻が言い、タローマンの映像を娘に見せたりする。私も神戸に居た1986年から1988年にかけて仕事で毎日のように前を通っていたがそれから37年が経ち、森見登美彦氏の『太陽の塔』を読んでから久々に見たいと思っていたので計画に組み込んだのである。
 北浜駅発9:26の阪急直通列車で南茨木駅へ出てモノレールに乗り換え万博記念公園駅に到着する。駅のコインロッカーにスーツケースなどを預ける間に娘は構内に置かれた折り紙で鶴を折っていた。38年前に中国道への落下防止の為に担当者として連絡橋の上に設置した柵を懐かしく見ながら公園に入り青空の太陽の塔に対面した。久々の巨大な姿に心の名で「久しぶりです」と言いながら家族写真を撮影する。
 
 園内に展示している芸術作品のタイトルあてゲームをしながらヒマワリ畑に向かうが妻に負け続けた娘が不機嫌になり進まなくなる。さらに13時半からの工作体験を申し込んで「14時半に太陽の塔の内部見学をするので50分で完成させてね」と云うと「何で時間を掛けてはいけないの」と益々不機嫌になる。それでも自然観察学習館でザリガニ釣りを楽しみ、森の観察路などを歩いているうちに機嫌を取り戻し、軽食屋でかき氷とサンドウィッチを食べて元気になる。再び自然観察学習館に戻り、娘が作るものは家で留守番をしてくれている婆ちゃんへのお土産であった。
 13時半から作業に取り掛かり私も鋸加工などを手伝った結果、想像より早く14時10分に作品が仕上がり片付けも済ませ、他の子供たちが作業をしている中で会場を後にして太陽の塔に向かう。すると塔の周辺にはブルーインパルスと太陽の塔を写真に収めようとしている多くの人があふれていた。14:40に離陸するので塔の中を20分で見れたら自分達も見られるのではないかと考え、娘を急がせたところ逆に反抗され塔の内部に30分も居ることに成り、中に居るうちに上空を通過していったようだ。内部で写真を撮るため500円を払ってケースをレンタルしなければならないことが腑に落ちないが、それでも地底の太陽や生命の木など55年経っても褪せない岡本作品は流石である。
 感動しながら外に出るとブルーインパルスを見終えた人たちがモノレールの駅に向かい長蛇の列を作っていた。黒い太陽と本当の太陽を写真に収めてから列に並び、多分予定の新幹線に間に合わないと妻に伝えると1時間遅いのぞみに変更してくれた。新大阪駅でお土産とたこ焼きを購入し、車内でたこ焼きをつまみに缶酎ハイを呑んで寝ているうちに東京駅に着く。八重洲バスターミナルから高速バスで金田まで戻ってきたがハードな日々が終わった安堵から、うっかりスーツケースを降ろし忘れそうになった。因みにこの日の歩数は14759歩であり、さながらどこかの山を縦走しているかのような歩数の日々を終えることに成った。