2009.1.11-1.15 エミレーツ航空で往復 宿泊はHotel QEENSに2泊
 イラン在住の友人から一度遊びに来いと誘いを受けていたが、治安の面から一抹の心配があり、バブルの崩壊が囁かれているドバイがある隣国のアラブ首長国連邦(UAE)で落ち合う約束をして安いチケットで出かけた。安いと言ってもホテル2泊と空港ホテル間の送迎が含まれて13万9850円だから中東はやはり高くて遠い。
 UAEの国営航空会社であるエミレーツ(首長国の意味)は成田空港の発着枠が取れず、中部と関空にしか乗り入れていない。その代わりに羽田〜関空が日航の機体でコードシェアしている。従って羽田から関空乗り換えでドバイへ飛ぶことにした。成田を持つ千葉県民でも木更津市民はアクアラインを使っていく羽田が便利なので有り難い。
 
 11日の日没後にバス停まで送ってもらい、アクアラインバスで羽田に着く。時間前にチケット交換窓口に付くと名乗る前に窓口の人が私の名前を呼ぶ。『このツアーは俺一人なのか』と呟く。羽田から関空に飛び、23:15関空発の便でドバイへ向かう。機体は素晴らしく、往路ではワインを飲みながら『少林少女』を鑑賞する。機内は空いており映画を見終えたら隣の席も使って眠りに付いた。目を覚ますとアフガニスタン上空。月明かりに照らされた丘陵地帯が灯りもなく広がっていた。
 
 ドバイ空港には日本時間で12日の10:35に到着。時差が有るので現地時間の05:35に修正し、以降の話を続ける。
 飛行機を降りバスで到着口に運ばれて行くが、羽田に匹敵するような大きさに驚く。UAEの人口は400万人と千葉県より少ないのに早速ドバイを実感する。出国の手荷物検査において関空で友人と飲むために購入した日本酒の4合瓶が没収されてしまう。イスラム教国の中でもドバイは酒に寛容だと聞いていたが先が思いやられる。
 出迎えのフィリピン人に誘導されインド人の運転する送迎の車に案内される。運転手はホテルを目指すはずが道に迷い頻繁に携帯で電話しする。その言い訳を私に言うが英語の訛が酷くてなかなか聞き取れない。外は段々夜が明け始める。砂漠のカラッとした空を想像していたが雲も多く、それどころか道は雨で濡れていた。聞けば雨期らしい。
 同じ道を何度もウロウロした結果、07:40にホテルに辿り着く。友人は買い物に行っていたウィーンから前夜の内にホテルに到着している。フロントで電話を回して貰い、ホテル到着を告げる。これで言語ストレスから解放される。
 
 初日はドバイのバブル見学を行うつもりなので、バス以外に公共交通機関が無いドバイでは車を貸し切る事が望ましい、というアドバイスのままフロントで値切り交渉を行い7時間425DH(≒11,000円)で決着する。車は個人所有のカローラで、トランクが空いたままなので遠くからでも解る車だった。9時にホテルを出発して先ずはおよそ30km離れたイブンバトゥータモールを目指す。そこまでの片側4車線でも渋滞する高速道路や周辺のビルと軌道交通の建設現場の多さに驚きつづける。まだまだバブルは崩壊したわけでは無いようだ。
 イブンバトゥータは中東が生んだ大旅行家で、それにちなんでモールもアンダルシア、チェニジア、エジプト、ペルシャ、インド、中国の6ゾーンから成っている。オープンスペースは特色有るデザインで歩いているだけで楽しくなる。正確には買い物をする気がないので店の品揃えは殆ど見ていないので建物だけを楽しんでいく。
 ペルシャのドームの下にあるスターバックスで朝食を取る以外は普通に歩いていただけなのに往復で1時間も掛かる巨大なモールであるが、このクラスが数多くあると聞くとドバイの街の購買力に驚かされるばかりである。
 
 モールを出たら開発の著しいマリーナ地区に向かう。マンションと思われる高層ビルが次に建設されていた。不動産相場が低下中と聞いているが殆どの現場は稼働中であった。建設車両を含め多くの通行車両で道路は渋滞気味である。マリーナから中東の街をイメージしたスークマディナジュメイラという商業施設に行く。スークとは市場の意味である。その名の通り迷路のような街並みも楽しく、7☆のバージュアルアラブが美しく見える綺麗な場所だった。
 先ほど通過したところを元に戻る形になるので運転手には不評を買うが、パームジュメイラという、上空から見るとヤシの形をした埋め立て地の先端にあるアトランティスホテルに行くことにする。ホテルの中も水族館などの一部は宿泊客でなくとも楽しめる。この様な情報は全て友人の知人でドバイ在住の邦人から生きた情報を得ているので、ガイド本よりはるかに役に立ち楽しい。
 
 今回のドバイで最も見たかったものが世界で最も高いビルであるブルジュドバイである。その高さは851mと言われ工事中ではあるが全容は見えている。この日の夜明け前のドバイ空港に着陸するときに高いところで点滅する明かりも見えたし、展望が開けるところなら市内の何処からでも見えたドバイでも突出した高さを誇るビルである。
 アトランティスホテルを出てビルの写真が良く撮れるところを運転手に求めると近くの工事現場に連れていってくれる。ここでも良い写真が撮れたがもっと直下から見上げたくて近くにあるドバイモールへ行く。このモールは世界最大と言われているもので駐車場から反対側の屋上まで歩いて15分以上係った。ビルを見上げると覆い被さるような迫力がある。完成品では最高である台湾の101も見たがそれを凌駕する迫力であった。ともかく細く高く感動するが見上げる展望台というものを設けない発想が勿体ない。
 ドバイモールでは紀伊国屋を発見し日本の1.5倍で売られている日本の書籍を見たりフードコートで昼食にレバノン料理を食べたり通路に面してタダで見れる巨大水槽を見たりするがとにかく広く1時間では2階を1周することがやっとであった。
 その後はアルグレアセンターというスーパーマーケットで土産を買い、約束通り夕方5時前にホテルに帰った。そこで友人がホテルの隣に小さな旅行会社を発見した。明日の砂漠ツアーが取れるか聞くと150DH(≒3,900円)でBBQも付いたツアーが可能という。ガイドブックよりかなり安いので申し込む。
 
 ホテルの部屋に土産を置いて、歩いて旧市街を探索する。アブラというクリークを渡す船に乗りバスタキア地区という歴史的保存地域へ行く。アラブ世界の残る落ち着いた風景やモスクの佇まいも気持ちよい。港周辺に広がるオールドスークは昼間に言った施設とは異なり庶民の息づかいも聞こえ生活感が漂う楽しい場所であった。
 日没後に船で対岸に戻り香辛料を売るスパイクスークや金の装飾品を売るゴールドスークなどを歩き回り、出稼ぎ労働者の溜まり場でバングラデシュのカレーを夕食として取る。羊カレーはわずか12DH(≒310円)であったが辛く美味かった。ここでいつもならビールでも飲むところであるがイスラム教国ではアルコールは店に置いていない。従ってホテルに帰って友人がウイーンで買ってきた膨大なビールとウィスキーを部屋で飲んで寝ることになるのである。
 なお、高級ホテルではバーも有り酒も飲めるが安宿なので、それも無理な注文なのである。
▼イブンバトゥータモール
▼ドバイマリーナ〜パームジュメイラ
▼ドバイモール
▼ドバイ旧市街
▼スキードバイ(エミレーツモール)  ドバイ2日目となる13日は朝6時前にモスクから流れる祈りの声で目を覚ます。6時前と言いながら日本では午前11時近い時間なので目を覚まさない方がおかしい。ビールの空缶の片づけなどをして8時にホテルの食堂でアラブ式朝食を取る。選択した結果のアラブ料理ではなく、このホテルではアラブ式のおかず3品とチーズ、主食はパンかホブズ、コーンフレーク以外に選択の余地が無いのだ。
 
 朝食後は街中でタクシーを拾い、エミレーツモールに行って砂漠の国にある室内スキーを楽しむ。このスキードバイは手袋と帽子以外のウェアーやブーツ、板又はボード、ストック等のリースとロッカーの使用料を含め2時間利用で190DH(≒4,900円)であった。なお事前にこの情報を知っていたので日本からスキー手袋だけ持参したのである。
 先週行った白馬乗鞍スキー場の半日券が2,200円で有ることに比べれば高いが、ドバイで滑るというミスマッチが楽しい。4人乗りリフトで一緒になった人もイギリスやカナダなど欧米からの旅行者ばかりであった。空いていたこともあるが、帰り際に現地の子供と思われる少年が入ってきた以外、アジア人は我々しかいなかったようだった。
 ゲレンデは千葉県船橋市に在りし日のSSAWSを思い出すようなものだったが、ゲレンデが直線でなく屈曲して設置されている分だけ優れているかも知れないし、若干狭い分だけ劣っているかも知れない。
 2時間も持たずにスキーに厭きてエミレーツモールに出る。商業施設だけで見ても充分に立派である。そこで昼飯にイラン料理をフードコートで取る。昨日のレバノン料理もそうであるが内容が想像できないので友人に注文して貰うのである。食事を終えたら一度ホテルに帰る。
 
 午後3時〜3時半ピックアップの約束が3:40に迎えに来て砂漠ツアーが開始される。同じ車に我々を含め3組6人がそれぞれ別のホテルから乗り込み、トヨタランドクルーザー(通称ランクル)は南方の砂丘地帯を目指して進む。
 うたた寝をしていると風景は一変して砂丘が広がるようになる。刑務所らしき建物を過ぎて車は道路を外れ砂地に入り少し進むとツアーの車が集合する丘に着く。見事に全てランクルである。外に出ていると深夜の日本から電話が入る。しかしドバイでは日没前である。若干会話が噛み合わない。車は接地面を増やすためこの丘の上で空気圧を下げ、再度スタートする。
 集合するのはバラバラに走ると衝突事故の可能性が高いからだと解るような、豪快な走行が続く。ランクルはこんな傾斜に耐えられる車なんだと改めて確認できた。
 ラクダ牧場などに立ち寄り砂漠のツアーは続き、オアシスをイメージしたBBQサイトに到着したのは日没後であった。結構な長距離を砂の道で走るのも楽しいが、仮にこんな所に置き去りにされたら死んでしまうなと思えるような砂漠の広さである。
 BBQサイトではラクダにも乗れ、食事中にはベリーダンスの鑑賞も出来る。その上、街中では手に入らないビールも販売していた。350mm缶で20DH(≒560円)という高さではあるがこの環境では飲まずには居れない、と思った者は少数のようで、あまりビールは売れていなかったようだった。
 
 ダンスの終了を持って帰路に付き、砂丘を出たところに有る店で空気圧を高め、車は高速で街中を目指す。ホテルに帰り着いたのは10時を回った頃であった。近くの高級ホテルのバーに飲みに行こうかと友人と話していたが疲れているので中止にして部屋のビールに変更した。考えてみれば日本時間では午前3時を回っているのだから眠いはずだ。
▼デザートサファリ(砂漠ツアー)
▼ホテル〜魚と野菜のスーク  慌ただしくドバイ最終日を迎える。前日は早めに寝たので午前5時頃から目が覚める。8時前に食堂に行くが締まっているので出直し、8時過ぎから朝食を取る。
 今日は一足先にイランに帰る友人がダイソーで入浴剤を買いたいというのでラムシープラザに行く。私が公共交通にも乗りたいと要望してバスで向かうことにしてゴールドスークのバスターミナルに向かった。バス料金は一定のようで、たったの2DH(≒56円)である。海外に出ると日本の公共交通機関の高さを改めて気付くことになる。
 ダイソーは全く日本の品揃えのままである。一輪挿しなんて中東で売れるのかな、と思いながら周囲を見渡すと韓国人やフィリピン人(多分)が買い物をしていた。相場は日本の1.7倍ぐらいだった。ダイソーの後はスーパーに回り生活用品などを見て回る。野菜類などは見慣れていない物が多い。
 帰りにもバスを使おうと思っていたが渋滞のためか時間を過ぎても来ない。およそ20倍もするがタクシーで朝のバスターミナルの隣に広がる魚と野菜市場に行く。
 金融に生きていると思われたドバイの民の中にも農漁業従事者が残っている事を実感し、ほんの20年前はこれが本当の姿だったんだろうと思う。市場の中の食堂に入り魚を食べるが新鮮でなかなか美味い。メニューも無かったので時価かと思ったがご飯が付いて15DH(≒390円)に過ぎなかった。
 
 ホテルに帰り朝から預けていた荷物を受け取る。友人はウィーンでイスラム教国で入手困難な酒や豚肉等の生活物資を購入しているので大変な大荷物であるからバスは無理なので、空港へ向かうためタクシーを探す。
 歩いていると白タクのような男が50DHと誘うが距離的にそんなにしないことが解っているので無視し、タクシーを待ち空港第3ターミナルへ着くと21.5DHだった。
 自分の飛行機までは15時間も有るがチェックインを済ませて身軽になる。午後は一人で街歩きをするつもりなので空港のバス停がある第1ターミナルまで一緒に行き、そこで第3ターミナルを見ながらトルココーヒーを飲んで今までの通訳に感謝し、友人と別れる。
 バスで向かうのは空港に近いワフィーモールである。エジプトをイメージしたモールという事であるが、これは東アジアで日本式が高級感を漂わせる事と同じなのかと思う。
 モールにはいるとガイドはアラブ文字だけで理解が難しくお客もベールを被った金持ちそうなアラブ人が多い。ステンドグラスも綺麗で、高級なモールのようだがゲーセンが入っていたのには笑ってしまった。ここで夕食にするつもりだったが一人で食べる雰囲気ではない。空港からのバスで実感したのは4km程度だから歩ける距離だろうと思い、街中で探そうと外に出た。
 丁度日没時間でドバイの高層街に夕日が沈んで行くところだった。視点の高い場所を求め高架橋の上に歩いていく。ドバイでは何処にも歩道があることに感心する。
 日没後の街を空港目指して歩いて行くが、新規開発地区のようで商店のような場所は何もない。クリークは橋で渡り、空港近くのホテルに付く。ここには美味いイタリア料理店が入っているとガイドにあるが、今更イタリアでも無いだろうと先に進む内に空港に着いてしまった。
 出発まで7時間もあるが面倒だから出国手続きを済ませ空港ビルの中で食事を取ることにする。日本でも見るようなファーストフード(サブウェイとスターバックスは特に目に付く)を避けて歩いていると英国式バーが現れる。これは世界的に評判の悪いイギリス料理が食べられそうだと入店する。ビールとウィスキーは流石に美味いが、摘みに頼んだBangers and Mashは確かにイギリス料理だった。
 
 残金を日本円に戻そうとすると円は高騰しているハズなのに相場が悪い。今回の旅を通じて感じたのは日本円が両替できない両替商や相場が信じられないほど悪い店が多かったことである。旅の間に漢字や日本語も殆ど見なかったし、世界第2位と第3位の経済力の日中の影響が中東には及んでいない事である。工事現場には日韓の建設業者名を多く見るのに、個人旅行が少ないためかも知れない。何とか5000円単位で両替してくれる店を見つけ、残った現地通貨で免税のウィスキーと水を購入し、ロビーで隠れて飲みながら飛行機の時間を待った。
 
 15日現地時間3:40に飛行機が離陸すると同時に爆睡開始。目が覚めると中国東海岸上空まで来ていた。『マジックアワー』を見終えたら日本時間17:30に関西空港に到着する。この日の太陽は飛行機の窓からそっと見ただけであった。乗り継いで羽田につきバスで木更津に帰ったのは21:30だった。この夜は時差のためか夜更かしをしてしまうのであった。
▼空港〜ワフィーモール
▼空港への帰り道

世界の旅 アラブ首長国連邦:ドバイ