2009.6.12-6.15 全日空で往復 宿泊は蘇澳金華大旅社、花蓮中信大飯店、台北華華大飯店
▼桃園空港〜礁渓温泉  私が40歳になるまで14年間在籍した(社)かずさ青年会議所は台湾の花蓮青年商会と1969年に姉妹提携を結んでいる。毎年交流事業を行っており、私も以前は会議に出席するため1993、1996、1999、2000、2004、2005と6回も台湾を訪問している。今年は姉妹締結40周年の記念の年であり、日本側担当者が長い付き合いであることもあって4年ぶりに台湾を訪れることにした。ただ、休みの日程が2週間前となる6月1日まで決まらなかった事や、個人旅行を含めて8回目となる台湾に変化を付けたいという気持ちもあり、訪問団の公式日程に参加せず、会議現地参加の自由な旅にさせて貰った。インターネットで全日空の往復航空券と3泊目の台北の宿を取った以外は何も準備も出来無いまま、バタバタと出発することになった。
  
 12日の早朝に家族にJRの駅まで送ってもらい、電車で成田空港駅を経て9:30には台湾桃園空港へ向けて飛び立つ。購入していた『向日葵の咲かない夏』を読んでいる内に桃園国際空港に到着する。この日は完全な自由日である。会議参加だけなら13日からの参加でも間に合うのであるが台湾で温泉に入りたいと思ったので1日早く入っているのである。だから桃園からも個人的趣味で2年前に開業した台湾新幹線(高鐵)にも乗ってみる。駅までのバス代が30圓、桃園から台北までの新幹線代金が100圓で、日本円に換算するとそれぞれ91円と303円程度である安さに感動する。台北駅で乗り換え礁渓駅までの急行列車になる呂光號の切符(158圓≒479円)を購入して温泉へ向かう。会社が違うためか桃園からの通し切符は購入できなかったのである。
 礁渓駅はコインロッカー等もなく荷物を全て持ったまま湯園溝温泉公園まで歩いていく。駅前には足湯が有り好感が持てる。公園の奥にある綺麗な有料施設が清掃のため休憩中だったから無料の男性専用温泉に入ったが、久しぶりに汚い湯だった。近くの足湯等は綺麗なのに印象を落としてしまったのが残念である。
 礁渓から蘇澳まで各駅列車で移動し、駅に近い金華大旅社に部屋を取る。宿の主人は日本語が達者であり助かる。宿も冷泉を引いていると言うが大きな湯船を楽しむために目の前の冷泉公園に行く。個人風呂まで入れる入場券(200圓≒606円)を購入し、水着に着替えて冷泉の中を泳ぐ。そこの泉質にも感動したが個人風呂は、まさにサイダーに浸かっているようで顔を付けるとチクチクするほどだった。風呂を出ると日も暮れており蘇澳の街中で飲食し、初日を終えるのであった。
▼蘇澳冷泉
▼蘇澳〜花蓮  2日目となる13日は前日の睡眠が早かったことも有り、朝5時前に起床してしまったので街の散歩に出掛ける。港に向かい川を渡ると直ぐに花蓮まで100公尺(km)の表示が出てくる。この区間には景観が素晴らしい大清水断崖が有るが、残念ながら旅客の減少でバスの運行が無くなったことを前日に宿の主人から聞いていた。電車で行けば安価で早いのは知っているが殆どがトンネルで景色は楽しめない。そこで100km離れた花蓮までの料金を駅前のタクシーの運転手に聞いてみると最初の提示額は3000圓であり、値切り交渉の結果、2300圓まで下がった。日本円で7000円を切ったので了解し朝飯も取らずにタクシーに乗った。
 運転手さんは全く日本語が話せず、私も中国語が話せない。崖際の道を黙って走り見通しの悪い曲がり角でも先行車を抜くので冷や冷やするし、先行車が居ない道でもコーナー前ではとても速度を落とすのでイライラする。暫くして反対車線の車も無理な追い越し中かもと想定しての運転だと解り、運転文化の違いを感じた。崖際の道は予想以上に楽しい所だったが2回目の観光は無いだろう。
 
 今夜の宿である花蓮中信大飯店に降ろして貰い、タクシーでの2時間半のドライブを終了する。会議は夕方なので前日に入っているメンバーに電話し、一緒に花蓮青年商会の元事務局員の車に乗せてもらい花蓮市内のお寺や街から離れた鳳林地区等の観光をさせていただいた。
 お寺では中国式の参拝に同行し紙のお札を金炉にくべて燃やしたりした。昼食は台湾で有名だという『満妹猪脚』という豚足が名物の店に入る。満員なのに次々と大型バスが入ってくるのには人気の高さと予約をしない旅行会社の計画性の無さに驚かされる。味は流石だが、尿酸値が上がりそうなメニューである。
 昼食後は林田山森林公園という日本統治時代の家屋や森林鉄道が残る場所に行く。台湾ではMORISAKAと呼ばれており、これは日本人が「森坂」と呼称していた頃の名残である。古い日本式の街並みと台湾の芸術家による立派な木の彫刻を見て回り花蓮に帰る。もう少し時間が有れば紅葉山温泉も行けたのであるが、午後5時に花蓮空港に日本からの訪問団の本隊が到着するので仕方ない。
 
 午後4時半に空港に着くと、既に顔見知りの花蓮のメンバーが訪問団本隊を迎える準備をしている。私もそれに混じり日本からの訪問団を迎えるべく『熱烈歓迎』の横断幕の中に並ぶのであった。
 本隊と合流したらホテルに戻りスーツに着替え、総勢22名となった訪問団で姉妹会議を行う会場へ移動する。午後7時から会議は開始され、双方の国際担当及び理事長の挨拶や参加者の紹介、年間事業報告、記念品の交換などが行われ、いつものように懇親会に移行する。県議会議員をしているほぼ同世代の林さんが9月に花蓮市長選挙に立候補すると聞き、記念写真を撮る。この夜は台湾の友人達に連れられて遅くまで乾杯を繰り返すのであった。
▼花蓮〜林田山
▼姉妹会議
▼花蓮〜台北〜自宅  14日は前日の疲れもあり、目を覚ますと9時近い時間であった。訪問団は午前中に太魯閣渓谷を見に行くと聞いていたが、既に何回か見ているので休ませて貰う。
 昼食会の前に街の散歩に出掛け、締結25周年記念碑などを見てきてから送別の昼食会に出席する。激しい乾杯が過ぎ、夕方の国内線で台北松山空港にに移動し、訪問団と別れて駅前の華華大旅社に一人で泊まる。
 
 15日に目が覚めると旅の疲れか飲み過ぎか解らないが体調が悪い。ぎりぎりまで寝てからバス(125圓≒379円)で桃園国際空港に行き13:00の便で成田に向かう。機内食も食べられず、酒も飲まないで殆ど寝て過ごしてきた。
 新型インフルエンザがパンデミックの指定を受けていたが成田空港で特に検疫を受けることなく帰国する。健康診断表が「熱」と「咳」だったから良かったが「胃のむかつき」という項目があったら空港に足止めだったろう。
 空港から電車を乗り継いで木更津に帰ったのは既に日が暮れた後だった。自宅で味噌汁を飲み、やっと食事をする気になれたのだった。

世界の旅 中華民国:花蓮