おまけNo.7 彩帆編      日本を走る

 

 

 

 

 

 

 

 
旅行期間 2008年10月9日〜2008年10月11日
 10月11日〜13日の3連休に行事が入る代わりに、8日と9日が休めそうな気配がしてきたので日本周辺の国を訪ねる旅に出ることにした。この夏には一度も海に潜っていなかったのでダイビングとサイクリングの2本建てを考えサイパンを選んだ。
 しかしツアーを申し込んだHISに問い合わせると『自転車は「スポーツ用品」にあたりますので、通常の手荷物とは別に換算し、日本発では1ユニットの超過料金にて8,300円、サイパンからは28US$を空港のノースウェスト航空カウンターにて、お預けの際にお支払頂きます。梱包が不十分とみなされる場合には専用のバイクBOXの購入も必要となります。』という回答が来た。往復1万円強の出費は辛い。
 既にダイビングを申し込んでいたBlue Jasper SAIPANに専門外の自転車情報を聞くと、ヒマワリホテルで1日8US$でレンタルをしているという。6段変則のママチャリだが文句無くレンタサイクルでサイパン島を走る計画を立てる。
 
 ともあれ、8日は午前中に仕事を行い、18時過ぎに成田空港に着き、円相場が激変中なので僅か2000円をドルに両替し、20:25のNW100便で日本を後にして、9日AM1:00(日本時間24:00)にサイパンに到着する。ホテルフェスタリゾート&スパについたのはAM1:45であった。48時間後には帰国のためロビーに集合となるので48時間の自由時間が開始される。もちろんまず最初は寝ることである。
 
 9日の朝7時半に起床し、プルメリアの花が咲く街中を散歩して朝食を取り、9時に迎えに来たショップの車でビーチダイビングに向かう。詳細は水中世界02を参照頂きたい。ラウラウとグロットで潜って午後3時過ぎにホテルに帰る。途中で銀行や両替商に寄るが、成田の相場より遙かに相場が悪い。これがリゾートなのだろうか、と悩みながらドルの不足分をカードによるキャッシングで穴埋めする。ホテルのビーチで遠く南にテニアンの島影を見ながら軽く泳いで部屋で一休み。その後、木曜だけ午後5時から開かれる路上市で食事を購入して向かいの金八レストランに持ち込み、それをつまみにビールを飲む。夜の街を彷徨うと雷を伴うスコールが来襲。ショットバーで雨宿りしながら南国気分を満喫する。・・・とこの日は自転車無し。
 
 10日は7:20にピックアップされ午前中に2ボートダイブ。松安丸と二式大艇に潜り水中に眠る戦跡を見る。今日も天気は文句無い。翌朝早い飛行機で帰るので潜水病対策として18時間のインターバルを設けるために午後のダイビングは出来ない事もあり、昼からはサイクリングの日程を組んでいるのだ。海水パンツを履き替え、昼食にハンバーガーを食べながらログ(潜水記録)を記入し終えたらヒマワリホテルまで送ってもらう。足元はビーチサンダルのままである。
 
 13:20に自転車を借り、先ずは北端にある最後の司令部跡であるバナデロと集団自決のあったバンザイクリフを見に行く。若干の向かい風と多少のアップダウンの中、自転車通行帯の無い道をひたすら走り14:05にバナデロに到着する。此処までホテルから12lm程度で有るから、やはりママチャリは早くない。
 司令部の周辺を散策してからバンザイクリフに行く。丘の上には20基近い慰霊碑が並び、南国の青い海の前で静寂の空間を作っている。昨日にグロットに潜った帰り道で立ち寄ったスーサイドクリフでは慰霊碑が多く破壊されており、殆どは中国や韓国から来た心ない者による仕業と聞いていたが、こちらのバンザイクリフでは管理が行き届いており、現にこの日も草刈と清掃を行っている現地の人達が居たことに安心した。千人以上の亡くなった崖を前に祈りを捧げ14:30より南下を始める。それにしても、日差しで焼かれて汗が流れ落ち、喉が渇くのだが店も自販機も周辺には何も無いのが辛い。
 4kmぐらい戻った途中のお店で1リットルの水を購入して一気飲みをし、砂糖王公園で『彩帆香取神社』を詣でる。昔はサイパンは彩帆と書いていたことをこの神社で知った。午後の暑さに音を上げて境内で小休止を入れる。
 さらに南下して行政府の中心であるスペペの街中に至り、北マリアナ連邦シビックセンターの前に着く。自治領の政府なのに極めて小さい建物だと驚くが、人口はテニアン島やロタ島を含めて全体で8万人ならこの程度なのであろう。現在は『北マリアナ諸島』としてアメリカ合衆国の自治領であるが、来年にはグアム(南マリアナ?)と同様にアメリカ合衆国の準州になってしまうことをアメリカ議会が議決したらしい。補助などは手厚くなるのだが自治権を行使できる部分は減るようだし、現在サイパンに大勢居る日本人や韓国人の在留資格も厳しくなるようで、猶予期間を入れた3年間に激変が生じる見込みと聞いた。良いことか否かは私には解らない。
 さらに少しだけ南下してカトリックの墓地の中に鳥居が残る景観が見られるマウント・カーメル教会に到着する。ここまで35km程走っているだけだが、ママチャリでは結構身体に堪える距離である。時間も午後4時を回っていたのでこれ以上南下するのを諦め、ホテルのあるガラパン地区へ戻り始める。
 ビーチ沿いの遊歩道をのんびり走り、壊れた日本軍戦車などがおいてある激戦地跡を越え、アメリカ記念公園に16:45に到着する。ビジターセンターの閉館まで15分を切っているが中に入る。日本語の掲示資料を読んでいると照明を消される。閉館らしいが案内放送もないことが文化の違いのようだ。仕方が無いので近くの商店で缶ビールを買って夕方の海を見ながら喉を潤し時をつぶす。
 ホテルフェスタリゾート&スパの部屋に帰り、足の甲まで日に焼けた身体にシャワーを浴びて着替えをし、日没の道をヒマワリホテルまで自転車を返しに行く。自転車の走行距離は地図から読むと全行程約48kmだった。
 
 その後はこの日に同じショップでダイビングをしたお嬢さん2人とショップの人達と5人でローカルレストランに行きフィリピン料理を食べ、ビールを飲む。色々と話をしていたが殆どが金融恐慌と円高の異常な進展に気を取られ、誰もロス疑惑の三浦被告がここからロスに移送されたことなど話題にもしなかった。翌日の自殺を伝えるニュースでサイパンに居たことを気付いた程度である。2時間半の食事で解散し、夜10時過ぎにホテルに帰り、荷造りを終えると集合時間まで睡眠時間は2時間しか取れない。ハードである。
 
 11日の1:20にモーニングコールで起こされ空港に向かう。サイパン時間で05:00のNW99便に乗り成田空港に帰り着いたのは日本時間で7:05であった。快速を乗り換え自宅に帰ったのは午前10時前であった。実質2日の有意義な旅であった。