おまけNo.11 選挙編      日本を走る
2019年4月14日(日) 54.4km
 
 2011年の統一地方選挙で2期目に向けた準備を始めていた頃、3月11日に発生した東日本大震災により電力や燃料・物資が国家的に不足し、計画停電が続く中で選挙の自粛が呼びかけられた。選挙カーの効果に疑問を感じていた事もあり、その年から自動車を止め、自転車による遊説を行い始めた。従って選挙の全てを自転車だけで行うのは3回目となるのだが、今回は「STRAVA」というアプリを直前にダウンロードしてから始めたので、記録を色々残すことが出来たので今回の「おまけ編」に加えることにする。
 初日は午前中に出陣式が有ったのと、途中で幟が折れたこと、さらに夕方には雨が降りそうだったことから走行時間は4時間程度に過ぎないがN候補の事務所で冷たいお茶をご馳走になった。またソフトの使い方に慣れないので約2km分の記録が落ちてしまった。
2019年4月15日(月) 94.2km
 
 二日目から遠征を開始する。先ずは平坦な金田と中郷方面で足慣らしである。早朝にS候補の事務所で暖かい珈琲をご馳走になり、開発が進むアウトレットの周辺や月末で廃校になった中郷中学校の前などを通り抜ける。併せて地元の細かい路地も走り抜け、7時間かけた遊説を終了した。事務所に帰ってみるとS候補とM候補が事務所に立ち寄ったようだ。この相互訪問をしながら健闘をたたえ合う選挙文化は好きなのである。
2019年4月16日(火) 96.2km
 
 前日の使用で慣れたと油断して記録を開始して波岡方面の丘陵地に挑戦する。午前中は記録を取りながら君津市との境を確認するため地図アプリを使い、画面のバックライトを消し忘れたところ途中で電池が無くなり記録が途切れる。街中のH候補の事務所で珈琲を頂きながら仮の充電をさせていただいてから帰宅する。自分の事務所で充電をしている間、周辺を1時間以上走って回ったが、その記録も欠如している。午後からの記録は何とか残すことが出来たが、夕方にH候補が立ち寄って一緒にお茶を飲んでからの記録も「再開」を忘れて抜けてしまったので、走行時間に時速12kmを乗じてこの日の走行距離を補正したところ、大台までもう少しだった事が夜になって判明した。
2019年4月17日(水) 89.5km
 
 早朝に金田BTに立ち、午前中に選挙期間の恒例となる馬来田遠征を友人とともに実施する。山を越える前にI候補の事務所で水分補給の休憩を取り、山を越えた先でM候補の事務所に立ち寄り休憩を行う。帰路も山越えルートを選んだが吉野田から伊豆島への上り坂で自転車を押してしまった。午前中といいながら事務所に戻ったのは午後1時近くとなり、午後の遊説は体力を抑えながら地元の周辺から街中程度で簡単に押さえさせていただきながらK候補の事務所で珈琲をご馳走になった。帰宅すると喉が痛くなり咳き込むように成った。過去2回では無かった状況なので少し早めに選挙活動を終えて風呂に入って就寝した。
2019年4月18日(木) 42.0km
 
 この日は午後から公民館で個人演説会を開催するので、遊説は午前中と夕方だけとなる。想定ではこの辺りで雨が来ると思っていたが、連日の快晴なので昼から遊説しないのが勿体ないとは思うが、足と喉を休ませるために必要な日でもある。実際、一晩寝たら喉の加減も良くなり、何とか遊説を続けることが出来るようになった。この日は午前中にJ候補の事務所でお茶をご馳走になりながら情勢の情報交換を行い、夕方は公民館での演説会を終えて事務所に戻ると来客が続き、その対応をしている為に走ることが出来ず、結果として一日の内、4時間も走らず、距離も42kmで終わってしまった。
2019年4月19日(金) 80.7km
 
 自転車で終日遊説を行う最終日なので地元と、遊説で漏れが多い清川や桜井方面を中心に回ることとした。午前中にはT候補の事務所で珈琲を頂き、同じ会派の全候補と友好会派の主要候補の事務所、合計8箇所の訪問を完結させる。この日は翌日に来ることが難しい地元の細部を沢山回ったのだが、またも「再開」を押し忘れ、2時間近い記録が抜け落ちてしまった。従って16日と同様に距離の補正を行い、この日の走行距離を算出した。
2019年4月20日(土) 25.0km
 
 選挙戦最終日は推薦をいただいている地区を地元の役員の方とともに歩いてお願いする事が恒例となっている。従って5時間を超える時間を要しながら25kmしか移動距離がないのである。その上、夕方6時から学校行事があり、来賓として出席するため選挙戦も早々に終了となるので距離は伸びないのである。しかし一週間の選挙戦を全てママチャリで行い、482.0kmを走ったことが判明したことは今後の参考になる。走りながら話すという難行苦行を行う候補は他に現れず、当面はオリジナルスタイルとして持続することが目標となった。