少子化の問題について
2006/6/17記
 子供を持っていない私がこの事を書くのは自己弁護のようでどうかと思いますが、個人の立場を離れて日本の少子化を考えてみたいと思います。

 合計特殊出生率が1.25まで下がり、このままでは日本の国力が衰退するとか、外国人労働者を大量に入れなければならないとか、はては日本人が消滅してしまうとまでの意見も出ています。しかし日本人が戦争や病もなく、悲しみを伴わないまま減ることは悪いことでしょうか。

 例えば中国の活気やインドの経済発展を見て人口が多い国家の活力が有るという議論をされている人が多くいますがバングラデシュの様に日本より人口が多くても安定し安全な国家ではないところは沢山あります。逆にヨーロッパの国家はロシア以外は日本より人口が少ないですが、明日をも知れぬ衰退に向かっている所は有りません。

 若年の労働力が不足すると言いながらニートのような非労働者が大量に内在しています。少子化を建前に文句を言わずに働く安い労働力を外国から導入するためのキャンペーンを行っているようにも見えます。つまり外貨を稼ぐための生産力の減少が、現在の所は少子化と直接関係していないという事です。若者が働かないのは仕事をしようという意欲を起こさせるより、社会の維持のために働いて税金を納めなければ一人前で無いという意識を持たせることが重要と思いますがそれはまた別の機会で記入します。

 江戸時代の日本は人口3千万人から4千万人で、再生可能な自給社会を築いていました。現在の日本は海外からの大量な資源の輸入により社会を維持しています。江戸時代当時の生活レベルに戻せと言うつもりは有りませんが、せめて食糧自給率を100%近くまで引き上げ、万が一世界中で食料封鎖が発生した場合でも国民を飢えさせないことが安全保障上重要です。分子となる生産量について考えると、生産性は飛躍的に増やせませんし生産地(農地)も増えるどころか都市化で減っていますから、分母の必要量を減らす事が重要です。廃棄などのムダを減らす事が重要ですが一人当たりの消費量を急激に減らさない以上は人数を減少するしか有りません。

 食料だけでなく国内でまかなう水道水源にしても総消費量が減れば水不足の危機も減ります(極端に使用量が減るとシステムの維持が困難になると言う問題はあります)。エネルギーの自給にしても風力や水力の国内生産を延ばしながら石油依存度を減らすことも原子力発電所の減少を行うことも可能になります。都市化の程度が大きく変わらなければ住宅や渋滞、通勤ラッシュも緩和されます。

 地方の都市や農村部では集落の維持が不可能になる所が続出するでしょう。しかしこれは少子化が始まる前の高度成長期からの問題で、教育や職場や賑わいが都会並に無いことをハンデと考える社会である以上は止めようが無いように思えます。子供が増えても労働力を供給し仕送りを受けるだけの地域を維持することになります。絶望的な地域も多く見てきましたが、場合によっては放棄も止む無しという判断も含め農林業の自立や観光産業や山村留学などの諸政策を検討しなければいけないでしょう。

 少子化が大きな問題となるのは団塊の世代が65歳を越え極端な高齢化社会を迎えることに有ります。高齢者による高齢者のケアとか極端な場合は未納税者で心身共に健全なもの(ニートをイメージ)は福祉のために徴用するなどの人的支援や、年金の税金化とか自治体事務化による運用費の低減などの税制的見直しなど多方面からのアプローチで乗り切るしか無いと思います。より重要なのは惚けもせず病気にもならず適度に働いて所得を得られ健康なまま長寿を全うしてポックリと逝くような人生をみんなが送れる方法を考えることのように思います。

 いずれにしろ人口が多すぎると言う国家のひずみを悲劇もなく是正するチャンスに有るのだと考えれば少子化に対して前向きな考えが出ると思います。