木更津の失われた10年について
2006/7/10記
 写真を整理していて、1994年に太田山から撮った写真が出てきた。その頃は西友がEPOとなって展開している頃で、旧サカモトそごうの搭も見えるし、駅の東西にはダイエーとそごうが見える。信用金庫はまだ「木更津」の頃である。土地の値段は1991年をピークに落ち始めては居たが、アクアラインが開通すれば何とかなるのではと思っている人も大勢居た頃である。

1994年1月に太田山から撮った写真
 10年一昔とは良く言ったもので、あっという間のようであったが木更津の街は随分替わってしまった。

 マンションは数棟増えたが商業施設は殆どが無くなってしまった。ダイエーはラズモールに形態変更しているが、西友ビルは駐車場に成っており、旧サカモトビルもマンションに成りつつある。みまち通りの尾張屋も撤退してしまい、最近でも旧十字屋の地下にあった白木屋がアインスビルに移動になったので、取り壊されるのは時間の問題だろう。
 
 その間で市の人口は殆ど変更になっていないので、郊外に出ていった人達が街中に行かなくなった、行かなくてもジャスコやアピタで用事を済ませられるように成ったのが大きな変化であろう。中心市街地の衰退は日本全国の地方都市で共通の問題であるが、それを引き留めるために木更津では駅前に巨大な立体駐車場を作ったりアインスビルを購入したりして市の負債を増やしてしまった。それでも中心市街地に賑わいが戻ることは無かった。

 アジアの街を歩いていると、まだモータリゼーションが未発達な事も有るが、低層階は店舗で高層階が住居というのが一般的で、街中の賑わいが失われるような状況になっていない。市街地には歩行範囲内に病院や各種公共施設が有り、人口増加の潜在的な需要は有ると思う。

 さて、築地地区にイオンの出店が表明されたが、これが失われた10年の取り返しになるのか、さらに加速になるのか検討がされたとは思えない。平行して人口対策も行う必要があるのでは無いだろうか。

2005年1月に太田山から撮った写真