港祭りの熱気の中で
2006/8/23記
 今年は20年ぶりぐらいに14日のやっさいもっさいと15日の花火を観客として観賞した。というのも今までは青年会議所や消防団の人間という面もあったので、いつも警備などのスタッフになっていたため充実感は有ったもの市民とは随分違う意識で臨んでいたことは間違えない。とはいえ今年も本部テントに呼ばれてビールをご馳走になったり、花火大会の祭りの広場で商工会議所青年部の知人に呼ばれたりで、若干一般人ではなかったかもしれないが、それは気にしないでおこう。

 さて、今回のやっさいもっさいは約3700人の踊り手が出て賑やかに広げられた。最盛期には1万人を超える人が踊り、その列は駅前ロータリーから元フェリー乗場の近くまで達して木更津駅の西側では車による南北の交通が遮断される状況であった。年に一度のお祭りの3時間程度であればそれも一興と思うのだが苦情は頻発したらしい。その頃は8月上旬の木更津信用金庫やサカモトそごうに入れば店舗の中でもやっさいもっさいが流れ、夏の訪れを感じたものである。
 しかし祭りに伴う喧嘩や騒動で参加者も減少し、市の財政難に伴う補助金の減少もあり一時期は存続が危ぶまれる状況にまで追いやられた。その苦境を救ったのは「木更津キャッツアイ」のドラマ化であったと言っても過言ではないだろう。事実それ以降は県外からの観光客やキャッツ連への踊り手の参加も増え、2006年にはキャッツ連が最優秀賞を取るに至っている。

 もちろん集客効果の面から言えば、翌日の花火大会のほうが数倍の人出が見込まれる上に、警備や設営も遥かに楽なのでコストパフォーマンスが悪くなり、その上騒動の発生率が高くなるのでは、主催者が行政側となった年は及び腰になることは仕方が無いのかもしれない。
 この中で地域市民が、祭りを続けていることは木更津の独自性や価値観を高めることであったと気づいてくれていれば良いのであるが、はたしてどうであろうか。