東京でのオリンピック開催について
2006/8/31記
 先日、2016年夏のオリンピック国内開催都市候補が東京に絞られた
 北京、ロンドンに次ぐ大会だからアメリカ大陸になるのが順当に思えるし、南米開催がまだであれば発展著しいブラジルのリオで行われるのが望ましく思える。つまり2016年の目は可能性が低いだろうというのが世間の評判である。私も開催できる国の実力を考えると、@アジア太平洋地域、A欧州、B南北アメリカとアフリカの3箇所を持ちまわるようにして12年ごとに1周する体制が望ましいと思う。

 2009年に2016年の開催都市が日本以外に決まってしまった場合、2020年の開催都市を目指して東京と福岡はまた手を挙げるのだろうか。ソウルに負けた名古屋や北京に負けた大阪は、当時オリンピックを通じて地域の発展と文化の向上に努めるつもりでいたはずなのに負けてしまうと理念も失われるものなのだろうか。それともJOCでは敗者復活を認めない風潮でも有るのだろうか。

 そういえば冬季オリンピックで長野と競り合って負けた富良野や盛岡、山形のその後の動きを聞くことが無い。いつかはオリンピックを開催できる都市を目指して世界各国の学校と姉妹校を締結する運動や、道路標識の国際化、数十年後を睨んだ地道な環境整備など長期に渡り取り組まなければならない課題は多いはずだ。それが成されていないのは長期的な視点を欠いた一時的な誘致運動だったという事になる。

 個人的には東京オリンピックの年に生まれて木更津に住んでいるが、近所の東京よりもアジアを向いた街である福岡で開催してもらいたい。さらにいえば福岡市ではなく別府や長崎や下関で宿泊者を受け入れられるような輸送体制の強化など山口県や北部九州全体でバックアップできる姿勢を強化して、地域としての大きなうねりを生じてもらい、ASEANの代表であるバンコクや10億人の人口のインドを代表するニューデリーが終わったあとの3周目(北京から36年後)ぐらいには福岡で開催できることを祈りたい。ただ、その時には私も80歳だから見に行けるかどうか、自信はない。