四市合併運動から4年が経って
2006/10/8記
 今年は「かずさ四市合併法定協議会」設置に向けた住民発議が否決されて4周年となる。その時に汗を流した仲間たちを集めて10月2日に木更津駅前の山孝食堂で会合を設けた。清酒聖泉をを飲みながら鋸南が南房総市に加わらなかったのは富津市との合併に未練が有るからだとか、県主導による合併の動きがどうなっているかとか、今月末に迫った君津市長選挙の裏話やその前に行われる公開討論会の話題などを熱く語った。

 振り返ると4年前の5月は仕事でも地権者への個別説明会が連日続いており、わずかな時間を割いて設計会社との打合せや図面照査を行い、午後7時には袖ケ浦に行き路上でビラを配ったり各種団体に説明に出向き署名活動の説明をしていた。夜10時過ぎに帰り食事をして午前2時ごろまでHPの更新や資料作りを行って5時間睡眠の日々を送っていた。
 6月に入ると署名期間になるので夜は路上での署名収集となる。日曜は仕事が休みの分、ダイエーやいなげやの店頭で朝から署名活動で有る。唯一リズムが崩れるのはワールドカップの日本戦が有るときだけだった。署名期間が終わった7月は選管への署名簿提出取りまとめやマスコミ及び協力団体への報告などに追われて忙しい日々が続き、あっと言う間に9月の各市議会を迎えたように覚えている。
 あのハードで睡眠不足の中で充実していた日々も袖ケ浦市の否決によって駄目人間の生活になってしまった。翌年に陳情の形で任意協議会の設置も要求したが、その時には署名活動ほどの盛り上がりもないままだった。

 その当時にはあれだけ頑張れたのだから、その思いを維持しなければいけなかったのだろうなど反省していると、私と共にHPの作成に携わった相棒より署名の会のHPのバックアップが発見されたという奇跡のような話が出た。あの熱い日々を思い出すためにも、その頁を今後アップしていこうと思った。

 山孝食堂の閉店時間が迫り、もう1軒どこかへ行こうという話しになったとき、4年前の合併運動に遡る5年前の1997年に、合併問題に対する機運を高めるために製作したポスターが唯一掲示されている「越路」に行こうという事になった。そこで冷酒を飲んで蕎麦を食べ、10時過ぎにタクシーで帰り、少しだけ熱い思いを心に残してまたいつもの日常が始まるのだった。