北朝鮮の核実験の日に思ったこと
2006/10/9記
 世間では3連休の最終日を謳歌している頃、夏から続けてきた隔週登山も一休みして土曜の朝からボランティア活動に汗を流したが、慣れない草刈機を長時間使用したので昨日の日曜日は背筋が痛く、快晴なのに夕方までごろ寝をしてから犬の散歩に行き、夜には友人の父親の葬儀に参列し、忌中払いをしてタクシーで帰宅したという一日を過ごしてしまった。今思えば馬来田のコスモスでも見に行けばよかったと思う。

 今日の体育の日は快晴の空の下で、祭日出勤の仕事をしていた。空気もさわやかで非常に過ごし易いレジャー日和の仕事である。また、今日は安部総理が韓国を訪問しているので夜のニュースが楽しみだと思っていると、昼のニュースで北朝鮮による核実験を知った。
 私には北朝鮮という国家の消滅に向けた最後の花火が上がった様な気がした。国際社会もあの独裁者を何時までも放置できなくなっているだろう。ただ、消滅の過程で北朝鮮軍が暴走し、多くの血が流れないことを祈りたい。特に50年以上も兵器による他国民の殺害をしていない我が自衛隊が武器を使用しなくて良い状況が確保されることを願う。
 それにしても世界の国境が低くなる中で、何時までも牢獄のような国家に監禁されている多くの北朝鮮国民に対し自由の風を送ることが出来なかった国際社会の無力は21世紀には解決されるのだろうか。EU諸国のように気軽に国境を越えて旅をする時代がアジア諸国にも訪れてもらいたいものである。

 これから描くイメージはアジアがより平準化される方法である。まず中国はチベットやウイグル等の自治国の独立はもちろん、北京や上海、重慶や広東等の特色ある文化の地域が一つの国家として機能する緩やかな連邦国家となって行く事で人口に起因する突出した力を持つ中華国家が無くなれば望ましい。インドも同様である。日本も道州制の元で地域が個性を伸ばして連邦国家に近づくべきだと思うし、日本の国民もアジア蔑視の世界観から脱却して行かねばならない。その結果としてアジアの諸国が対等な国民として友好と交流を深めていける時代が来てもらいたい。

 そんな時代がきたら私の達成した日本全市町村走破ではなく、次の世代には平和な世の中で世界全国走破を成し遂げるものが現れてもらいたい。そう思った秋の一日であった。