Made in Japanの復活と木更津について
2006/10/21記
 小学校の直ぐ隣に桜電気というSONYの協力工場が有った為か、友人の持つラジカセも殆どがSONY製品だった。その後、桜電気はSONY木更津になり、プレステを大量に生産するようになった。朝方は対岸の川崎等からマイクロバスで大勢の娘さんたちが通ってくるようにもなった。仕事帰りに木更津で消費行動をしたり、あまりの土地の安さに家を購入したりしてくれれば経済の波及効果も大きくなると思うのだが今の所そのような状況は見えない。築地に出来ると言われているジャスコ完成の日には少し行動が変わるのかも知れないが旧市街には余り関係はなさそうで有る。

 私が小さい頃はSONYや東芝に比べシャープと言えば安物のイメージが有ったが、最近は業績も良く、携帯のシェアは国内最高となり、特に液晶の品質・技術・生産量は世界最高に近づいているようだ。そんな中で流れる亀山工場を前面に出したCMは、日本人の物づくりの心を振るわされるようでとても好感が持てる。一時は安い賃金を求めアジア各地に進出した工場も日本回帰が図られ、世界から憧れられたMade in Japanが復活しているのはとても嬉しい。産業の空洞化も防止されるし、生産する喜びを子供たちに伝えていく事は将来のためにも良いことと思う。もっともその影には派遣労働者や下請け労働による大幅な賃金低下が存在していることも忘れてはいけないだろう。

 かずさアカデミアパークに大規模な面積を持つ富士通は、聞くところでは木更津に進出させる部門は無く、なんとかあの土地を処分してしまいたいらしい。シャープが亀山の地で起こした奇跡をこの木更津で富士通が起こし、Made in Kisarazuブランドを育ててくれればと私は願うのだが、その声は市民の間には余りにも小さく、例えば株主総会でガンガン発言しようというような運動が生じそうな気配も無い。
 そういえば私のパソコンは初代から現在の5代目まで全てNECであり富士通ではない。学生の頃に6801とか8801とかに出会った世代だから何となくパソコンと言えばNECという刷り込みをされているのかもしれない。携帯は5代前にFを使ったような記憶が有るのが唯一の富士通製品の使用だったかも。土地が有るだけでは木更津や房総を代表する企業と言うような愛着は持てない。街中で飲んでいる社員と話が交わされたり、やっさいもっさいの踊りの中に連が加わったりしないと仲間意識が生まれないものだ。そんな意味では新日鉄はすっかり木更津に溶け込んでいると言えよう。

 そんな事を考えて居たら湾岸戦争のBoots on the ground という言葉が頭に浮かんできた。日本が軍隊を戦場に送ることの是非は別として、富士通には木更津の地に早く足を付けて行動を開始してもらいたいものである。