多発する自殺について
2006/11/21記
 学校でいじめに遭い、自殺する子供が続いている。報道が取り上げるので死にたい気持ちの背中を押されているという一面も有るのだろうが、あまりに命が勿体ない。

 私の場合は小学校の頃からよく忘れ物をして、担任の先生に「責任感が無い」とまで言われたものだが、いじめに遭ってはいなかった。当事者の立場に成った事がないので軽率なことは言えないが、少なくとも学校以外が世の中の殆どであることを知っていれば、自らを追いつめることも無いだろうと思う。自分を振り返って考えると多くの小説やエッセイ等を読み、1人旅に出かけ続けたことで精神的に大きく育った自覚がある。やはり可愛い子には旅をさせなければ成らないと思う。また、どんなに辛い事があっても生きていくというメッセージが込められた「足摺岬」(田宮虎彦:新潮文庫他)を、子供たちには読んで貰いたいものである。

 20代の頃、大学の卒業も近い頃に府中に住んでいた友人のK野が会社に勤めずにインド放浪をする、と聞いたときに正直羨ましいと思ったが、責任有る社会人というものを早くやりたいと思っていたので、普通に公団職員に成ってしまった。その事を今振り返っても正解だったと思うが、もし自分の道が閉ざされ全てが上手く行かなかったのなら、社会的な自殺であるアジア放浪を選んでいた可能性は大きい。

 まだまだ見たいものが多く、やりたいことが多いのなら命を止めてしまうことは無いだろう。そんなに今の社会は夢も希望も冒険心も無い世界に成ってしまったのだろうか。ここ木更津で生きる道を選ばなければ砂漠緑化とか紅海にマングローブ林を作る運動のような地球を守っていくプロジェクトに参加したり、同郷のMがしているように海外青年協力隊として明治の日本が受けた恩を他の国に返したいなんて私は思うのだが、そういう考えも出来ないほど追いつめられているのだろうか。

 死を近く感じたことは何度か有る。自転車の旅では四国の足摺岬東北の下北半島で転倒して傷だらけになるし、博多では鎖骨も折った。登山ではホワイトアウトで固まっていた蔵王で遭難の恐怖を覚えたし苗場の滑落では鎖骨にヒビを入れたようだ。友人のS井も長崎で落ち合う約束を果たせず、島根で手痛い事故に遭い長期入院を余儀なくされた。だから長い旅に出る前には部屋を綺麗に片づけ、後を整理して行くという覚悟をしていたものである。死は突然に訪れるものであり、それを可能な限り避け続けるというのが旅の進め方であり、それが人生だと思っている。だから決して自らの命を絶つことは考えていない。

 富士山に共に登った先輩のK町さんが、自らの人生を終えてしまった葬式に参加し、心の底からの涙を止めることが出来なかった。そこに居た大勢の友人たちの悲しみと引き留めることが出来なかった自分自身に対する悔しさが滲み出る姿の中に、自殺という行為の周辺への影響を嫌と言うほど味わった。それ以前にも事業が上手く行かず借金返済のために命を絶った先輩も多く、繰り返される悲しみが辛すぎるのである。
 決してあの思いだけは親しい人達に経験させないように、と自分自身には刻み込んでいる。
 今回はシリアスな展開になってしまったが、このHPに辿り着いた人が生き方を変えてみる一助にでも成ればと思い長文の掲載をさせていただいた次第である。