勤労感謝の日に思う
2006/11/23記
 今日は勤労感謝の日だが通常のように朝6時に起きて仕事をしている。所要確認のためにメールを遣り取りしたS井もF島も仕事のようである。多くの人がこの祭日も働いていることであろう。
 働くことを美徳と考える日本人の風習は素晴らしいと思う。天皇陛下でも重要な神事に皇居での田植えや収穫が有るというのは、正に国民の象徴に相応しい。エリザベス女王が小麦を巻くという話は聞いたことが無いし、他の世界の王家をイメージしてもガーデニングや狩猟はいざ知らず、農作業をする王は考えにくい話であろう。そもそも勤労感謝の日自体が旧新嘗祭の改称であり、新嘗祭はWikipediaによると、天皇陛下が五穀の新穀を天神地祇に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫を感謝する祭儀であるから、まさに労働と大地の恵みに感謝をする日なのである。

 しかし、その日本人の美徳が特に若い世代から失われ始めている。昔からやり遂げる楽しさの有る仕事より楽に儲かる仕事の方がもてはやされ、株や先物で濡れ手に粟を目指したり、さらにはマルチ商法で利益を得ようとする輩が多く居るが、最近では引きこもりやニートのような仕事をしていない自分に負い目も感じない者が増えていることは、さらに嘆かわしいものである。世間も若者に対して「自分探し中」だからと言って甘く見ている風潮もあるが、何不自由のない体を持ちながら、社会生活を送る上で必要な公的負担(特に税金の負担)を行わず、受益だけ得ていることを恥だと考えて貰いたいものだ。
 休日は思いっきり楽しんでも、やはり本業の仕事もしっかり出来ることが人生を深くすると思う。個人的には琉球旅行を27日間に渡り行った時には当然仕事をしていないが、その後のプロジェクトに力を入れ、年間にはそれなりの税金を納めるという、メリハリの有る生き方は誇りにすら思っている。もちろん自営業でなければ出来ないような生き方で有ることは解っており、自らも嘗てそうであったように、日本を支えている多くのサラリーマンの方々には多少申し訳なく思っている。

 私は石川啄木の「こころよく我に働く仕事あれ それをし遂げて死なんと思う」という言葉が好きである。特に私の場合は大成建設の広告にあった「地図に残る仕事」という事が大好きで、建設現場にこだわって来た。一時は千葉で設計業務を請負い、業務内容の割には単価の高い仕事をしていたことも有ったが現場が無いことに耐えられず契約を打ち切った事も有るほどだ。
 もちろん、住民との交渉や職人との人間関係が煩わしいと思う人は建設業界でも設計や技術開発を行えば良いし、建設業以外の仕事でも、地図に残らない仕事でも、とても達成感の有る仕事はたくさん有る。
 皆がプロジェクトXのようなドラマ溢れる展開になれはしないだろうし、望む仕事と出来る仕事のギャップが必ず付いて回ることも仕方がない。高齢の場合や性別国籍の壁のためにやりたい仕事に就くことが出来ない状況も沢山あるだろう。それでも西洋のように労働は苦役という視点でなく、働くことは楽しいことだ、と思い続ける国で有り続けてもらいたい。勤労感謝の日にそんな事を思っていた。