会計検査院の想い出
2007/1/10記
 道路公団に居た頃や都市基盤整備公団の手伝いをしていた頃、毎年定期的に非常体制が取られる時が有った。それは会計検査院の調査を受ける時である。
 調査に来る検査員が最近他所で指摘した点や大学での専攻とか愛読書とか嗜好(お茶とコーヒーとどちらが好きか)等、関係ないような物まで含んだ様々な個人情報や、検査中には便所でも私語を慎む事等が書かれた注意心得とか他所の事例などが数日前に配布された。
 検査期間中は毎日数十枚の速記録が各自に配られ、検査官のその日のまとめが発表されるまで全職員と設計に関わったコンサルタント会社や対象工事の現場代理人とかが事務所で待機を続け、その数日間は業務がほぼ停止していた記憶が有る。
 烏田土地区画整理組合では全く補助金を貰っていなかったが、無利子融資を受けていたので、毎年会計検査の対象となり、県の事務所に膨大な書類と共に数日詰め、数分間の聴取を受けると言う事を繰り返していた。僅かな金利分の便益のために書類運びや待機の人員を裂かれ、会計検査院説明用資料作成や大して必要も無い確認書類を作らされ、その上検査期間中は精神的に疲れるというのは勘弁いただきたい、と言うのが正直な気持ちだ。
 会計検査院も特別な対応をしないで貰いたい、とわざわざ通知しているのに指摘される事を嫌うあまり、ともかく過剰反応をしすぎだと思う。仕事の中身に熟知しており、毎日の行為にやましいことが無ければ堂々と検査を受けて、質問に答えられない場合は「後日」と回答すればよいだけなのに、と何時も楽観的だった私は結構浮いていたかも知れない。

 会計検査院のように公共団体を検査する機関が無ければ、前例踏襲主義が幅を利かせ、カイゼン運動は発生せずに無駄が多く生じることになると想像されるから、その存在は否定しない。しかし昨今の報道のように会計検査院職員の天下り先の公共団体に対する検査が甘くなるなど言語道断である。だから出来れば多くの民間人が入り、公務員とは別の視点でのチェックもなされるべきであろう。

 民間の視点、というより国民の視点として、本来は議会がもっと調査権を行使して無駄を指摘するのが役割であると思うし、国民の多くもそれを願っている。もちろん、段階が国から市に下りてきた場合は、市議会にそのような期待をされていることも充分に承知している。
 だから市議会議員は行政に地域要望などを叶えてもらう見返りに他の事に目をつぶることが無いような正義感と根性を求められる訳である。