国際化について思う
2007/1/27記
 木更津市はアカデミアパークの存在により国際会議が多く開かれ、国土交通省から平成11年7月に全国47番目の「国際会議観光都市」として認定された。しかし、現状を見ると2002年には開催件数22件で全国16位と健闘したものの、2003年には14件・2004年は18件で共に19位となり2005年には開催件数が10件と減少し、順位も24位に下がってしまった。そろそろ飽きられてきているのかも知れない。ちなみに全国1位の東京は2005年には742件の開催を行い、2位の京都の224件を大きく引き離している状況である。

 国際化の事例として東京や京都のような大都市を別にして考えると、きわめてユニークな町として群馬県太田市と北海道倶知安町が上げられることが多い。偶然にもこの両自治体は私と良く山に登る友人が住んでいるところであり、状況を生で見てきている。

 太田市は市内に有るスバルや三洋の工場に大量の日系ブラジル人が働きに来て、そのまま定着したものも多い街である。市役所にはポルトガル語の解説もあり、街中にはブラジル料理屋も多く、黙って入ったらポルトガル語のメニューを出されたりする所である。最初のうちは地域にも摩擦が多く有ったらしいが、それを乗り越えて新しい文化を積極的に創ろうとしている。若い力が集まり、太田市は群馬県でも有数の成長率を誇る市になっている。

 倶知安町はニセコの隣町で有る。オーストラリアから渡ってきた青年がアウトドアの店を営みながら、故郷に対しニセコの素晴らしさを発信したことで口コミが広がり、スキー好きのオージーがパウダースノーを求めて来る街になった。南半球とは夏冬が逆転するが時差が1時間しかない日本という利点も生かし、彼らの別荘地となった。街中にはFOR SALE(売地)の看板が溢れ、平成16年には地価上昇率が日本一になった町である。こちらは別荘地なので人口の増加はあまり伴わないが、冬の間の比羅夫スキー場と近くの居酒屋の活気は高く、世界的に知名度が上昇している町となった。

 この2つの自治体は私の友人が住んでいること以外に共通な事がある。群馬県太田市の清水市長と北海道ニセコ町の逢坂前町長は、共に名物首長としてその斬新な行政運営が評価されている事だ。それと国際化は偶然なのか、国際化の結果で市民がしがらみを越えて、本当に必要な人を選ぶようになったためなのかは解らない。

 さて、木更津の財産である膨大な宅地や空港とのアクセスの良さを考えたら、外国資本を呼び込むことも手段として可能かもしれない。それは平成2年に姉妹都市をオーシャンサイド市として選んだときに欧米の英語圏という制約を入れたことと異なり、BRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)のようにこれからの世界で大きな地位を占める国であったり、韓国・台湾のように羽田からシャトル便が出ると思われる地域であるべきだろうと思う。
 これらの国々の日本市場への乗り込み基地として木更津が選ばれ、横浜の中華街のようなロシア街やインド街が出来れば街の表情も豊かに成るであろう。例えば金田への誘致はそのような方向性が有るかも知れない。もっとも金田にはカナダ資本の参加が表明されているからカナダ流の街づくりも悪くない。
重要なことは受け入れる側の我ら市民にもてなしの心が有るかどうかであろう。