選挙での投票行動について
2007/2/25記
 今日、有力支援者から「四街道で食事したレストランで店主と話をしていたら、食材の一部を木更津から取り寄せているから、その工場に紹介して上げると言われ電話もしてくれたから早めにそこに行ってね」と言われ、工場の住所を渡された。
 その食材工場にとっては取引先からの話だから私に会うと約束してくれたのだろうし、レストランにしても一見のお客さんとは言え、その夜にはお酒も飲んでくれている単価の高い客の要望だから電話も入れてくれたのだろう。立候補者としては出来るだけ多くの人と意見交換をするチャンスが欲しいのでこのような事例も悪くはないが、仲介のレストランも木更津の工場も私に対する情報を全く持たないのであり、釈然としない気持ちは感じる。
 
 理想を言えば政策や人柄に理解していただいた方が、その長所を第3者に伝え共感の輪が広がることで支援者が増えるというのが望ましいが、現状は「頼まれたから」という事で投票行動に移る人も少なからず居る。
 頼んで来た人の眼力を信じて、あの人が頼むのならきっと良い人なのだろうという考えで有ればそれは正しい選択の一つであると思うが、この例のように頼んだ人も候補者を知らずに「義理で」という事例も少なからず存在する。
 紹介者を信じているわけでもなく、候補者の吟味をしている訳でもなく、ただ何となく投票する者は自らの住む地域は政治家の選択で変わると言うことに全く期待していないのだろうか。
 中には候補者と会うことで経済的な利得が得られると考えている者も居るかも知れない。選挙では金を使わなければと言うものもまだ居るが、公選法の規制以前に、選挙で金を使うと言うことは政治家になって金儲けをすると公言しているようなものだからと、私は青臭いと言われようと否定をしている。だから、利得期待の人にはガッカリさせているのかも知れない。
 
 私も多くの友人知人に無償で後援会へ入会する人の紹介を求めているし、その人達の全てが私を伝えながら入会を依頼しているわけでないことも現状であろう。それは私自身を一言で表現する明確なコピーが無いことも原因だろうから、私にも責任はあると思う。
 であるので、後援会に入会してもらった人達にはどうしたら私の人柄を伝え、支援する気持ちにすることが出来るかが重要な部分になると考えている。無償での支援でも木更津が良くなると言う大きな利益を得ることが出来るという希望も持ってもらわなければ困る。しかし挨拶という限られた時間の中で、それはとても難しい事である。一期一会の精神が問われているのかも知れない。