神戸で学んだ都市経営について
2007/3/9記
 今から20年前の話になるが、大学を卒業して日本道路公団に入り、神戸に住んでいた事がある。高校3年生であった1981年に開催され大成功を納めたポートピア”81の記憶も有り、知りたいと思っていた街だったので勤務地希望地として関西を選んだ所、願いが叶っての転勤であった。
 「山、海へ行く」というキャッチフレーズで知られるようになった山手の西神団地とポートアイランドの造成を同時に進めるディベロッパーとしても驚いたが、神戸ワインや道路公社などの主な51の外郭団体のうち、47団体が黒字経営であり、一般会計からの補填を行うのではなく、利益で市民福祉を高めていくという姿勢にはより驚かされた。
 行政自らが都市のブランドイメージを高め、外郭団体で稼いだ金を地域発展や市民福祉に当てる姿を神戸市民として実感したときに、故郷である木更津や周辺諸都市との大いなる差を感じないわけにはいかなかった。
 その頃は、何故神戸で出来て木更津で出来ないのか、人材や規模の差などを上げれば色々あるが出来ない理由には成らないはずであると思い、株式会社神戸市に関する本を何冊も読んだ。読めば読むほど神戸の凄さが解り、自治体も経営が重要だという思いを強くした。
 その経験が無ければ政治をやりたいという意識も強くならなかったであろうと思うと感慨深い物がある。
 
 先日、某社の朝礼に参加することがあり、そこで木更津市を誇りある街にするためには収入を増やし、経常的支出を抑え、政策的投資の余裕を持たせることだと話している中で、ふと神戸市を思い出していた。今の原点を思い出した訳である。
 その頃に購入した本の中から『株式会社神戸市はいま』という本を読み返し、当時の宮崎市長の「最小の経費で最大の市民福祉の実現」「国の補助金に頼る限り、市民福祉の向上には限界がある。地域の発展は自らの手で作り出すものだ」という言葉を読み返し、木更津でそれを実現させるための展開を常に考える必要性を再確認した。
 
 神戸市はその後、阪神大震災の被災の中で、「株式会社神戸市」という営利事業に一生懸命で防災は疎かだったのでは、などと言う批判記事を書かれたりしたが、あの街づくりが有ったから被災者の仮設住宅の用地もあり、助け合う市民の醸成も出来たのではないかと元市民として思った物だ。
 
 今では震災からの復興のために膨大な債権を発行して、その借金が多額に上る中で神戸空港の開港を行うなど、疑問の残る運営をしているが、早くあの頃の輝きを取り戻し、自治体経営とはかくあるべきだという姿勢をまた見せて貰いたい。
 それよりも木更津がその立場になり、日本中から木更津方式を学びたいという人が訪れるような都市を創り上げることこそ神戸に学んできた者が示せる恩返しなのかも知れない。その理想に向かって邁進しなければ。