議会での質問について
2007/8/26記
 昨日、元木更津市議会議員の方(もちろん父ではない)と9月議会のことなどで打合せをする場が有った。先輩議員の個人質問に込められた思いや、引退してもなお木更津市を良い方向へ導こうとする姿勢に頭が下がる思いをした。時間をかけ、色々と政策の方向性の話をしている中で『世代交代のために引退した結果、志の高い新人が多く入ってきて安心できる』と言っていただけた。リップサービスも含まれているであろうが、やはり嬉しい言葉であるし、一層の奮起をしなければならないな、と思うのであった。
 
 そんな会話の中で議会答弁の意義・効果・姿勢などのアドバイスを色々と受けながら思い出した事があった。前回(6月議会)の質問の時、傍聴に来てもらった青年会議所時代の友人から『あの回答に対して第2質問が鈍すぎないか』と言われた事である。
 青年会議所の理事を努めていた時(1995〜2005)の中で議事運営に慣れた頃、執行部で無い側(通称、野党と呼ばれていた)に回った時には、提案者や答弁者への教育も含んで容赦の無い質疑を行い、友人の上程した案件でも修正や棚上げの動議を出したり、採決では反対に挙手していた事を長いこと見てきている友人に取って、市議会での質問が甘く感じられたことは良く解る。
 
 議会のルールや発言の重さという点も有るのだが、それでは議会の活性化につながらないと思うと、追求の手先をどの程度にするのか悩むものである。特に青年会議所の理事会のようにその場でガチンコとするのでなく、内容の深い回答を求めるために質問が事前通告になっている上、通告から議会までの間に担当部局から回答できる部分とそうでない部分についてレクチャーを受けてしまうという状況が大きな差である。市議会での回答が内容のないものになってしまうという、低調な議論にならないことを考えると質問が第3者には不完全燃焼に終わってしまうのは、私の討議技術力の不足も大きいが、構造的な問題かも知れない。
 
 重要なことは問題点の発掘だけでなく、政策をどの方向に向かわせようとしているのかという哲学の問題で、その為には芯の揺るがない、連続した質問が有効だと教えていただいた。
 9月議会では6月議会とは全く別の案件を数件質問する予定なので、2回だけを見ると『あちらもこちらも』と動きすぎのように思われてしまうかも知れないが、1年周期のように長い目で議論の進展を進めるつもりですと答えた。
 先輩議員からは国会の予算委員会の質疑などをよく見て、参考になることは吸収しなさいとも言われた。内容の深さだけでなく議論のテクニックや話術という事も重要な要素であることを意識の上では理解しながら国会論争を生で見ていなかった自分の不覚を思い知った。
 
 このように、個人質問も大変だと2回目にして更に思いを深くしてきたのである。