クールビズについて
2007/8/30記
 最近やっと涼しくなってきたが今年の暑さは厳しかった。小泉内閣から「クールビズ」という風習が広がってくれたので汗っかきの私としては大変助かるが、それまではこのような猛暑の中でもネクタイを締めて上着を着ていたのかと思うとぞっとする。
 
 現在でも営業職を中心に多くの職種が上着ネクタイ着用で夏を乗り切っているが、一人一人が暑さに慣れない限り、冷房は強くなり、消費電力が増え、火力発電所の稼働が高まってさらに温暖化が進むという循環に有るように思えてしまう。
 
 ネクタイはクロアチア兵が首に巻いていたものを真似したものだという俗説があり、ヨーロッパに流行して300年、日本では100年程度の歴史の風俗である。ネクタイを巻いている多くの人は、慣例や常識として巻いているのであり、一部の人を除けば好んで付けているわけではない。何より休日にネクタイを締めている人が少ないことでそれが解る。他の用途では止血程度の役には立つが、それで有ればタオルの方が汎用用途が広い。個人的には首タオルで日常を過ごしたいものだが、一見、現場監督になってしまうようで世間体が悪い。
 
 昔、たしか愛知県で、ポロシャツで議場に来た議員がいて、議会軽視だと問題になったニュースを見たことがある。今のクールビズでもポロシャツは軽装過ぎて問題なのだが、ハワイの正装であるアロハや沖縄県が普及を目指すかりゆしウエアは一部で認められるなど、どうにも首を傾げる状況が続く。
 
 時と場所に合わせたドレスコードを守ることが世界の常識であるが、近年の地球環境を考えると、高々300年程度しか歴史のない服装を大切に常識と奉ることが賢明とは思えない。
 日本初のクールビズを好意的に受け止める欧州人も多いと聞くが、もっと根本の所から風習を改め、世界統一キャンペーンとして常識を新たに作り始めても良いのではないか、そんな事を首タオルでパソコンに向かいながら書き連ねているのである。