国民医療と保険について
2007/9/6記
 議会開催の初日である9月4日は議案の上程だけで終わり、午前中に合併調査特別委員会(傍聴)、午後から基地対策特別委員会が行われ、午後3時には時間が取れたので、自分の質問が近付いて追いつめられる前に話題作「SICKO」を見てきた。
 既に承知の方も多いであろうが、これはアメリカの医療の問題を通して誰もが安心できる社会を作るように行動を起こそう、というメッセージ性の高い映画である。
 日本の医療は先進国の中で対GDP比率が低いながらも世界最長の平均余命と世界最低の乳幼児死亡率を誇る素晴らしいものであるが、それは医療従事者の献身的な日々の努力と、岩手県沢内村の深沢元村長や長野県の佐久総合病院の若月先生のように予防医学を地域で取り組むという運動の結果である。
 現在の日本において医療制度で痛みを伴う改革の結果はどうなったのかと言う問いが、翌日の報道ステーションで国民健康保険に入れない人達の特集として行われていた。
 
 国民健康保険の制度は国が決めているが事務執行は市町村の責務であり、6月議会で保険料の改定についての議案を通過させてしまった。
 この市で国民健康保険に入っていなかったがために適正な医療を受けることが出来ず、現代医療では簡単に救える病で命を落とす人が出た場合、その人を死なせたのは誰か。政治に携わるものとしては常にそのような問題を直視しなければいけないのである。
 
 ただ、老人医療費が全て無料だった頃は病院に必要のない年寄りが大勢訪れ、医療機関が正常に機能しなくなっていたという状況を振り返ると、全て無料で医療を提供して、それを税金で運営するのが正しいやり方とは思えない。しかし「ブラックジャックによろしく」のガン治療編で問題提起しているように、医療を受けることで家庭が経済的に崩壊するのも間違っている。
 さらに地方分権の元に自治体に対応が投げかけられた場合、医療費無料を実施した都市部の自治体には多くの医療難民が押し掛けて大変な事態になることも容易に想像される。国策として取り組む問題だと言い切り、自治体は無策というなら地方分権は無理なことであるし、それでよいのかと悩む事も多い。
 
 先の沢内村の事例では全国に先立ち老人と乳児の医療費無料化を実施しましたが、余りに山深い村だったので医療難民は押し寄せなかったようだ。ちなみにこの岩手や長野の取組を書いた岩波新書の「自分たちで生命を守った村」「信州に上医あり」の2冊は私の愛読書であり、医療問題を考える原点の一部となっている。しかし、目の前の現実との乖離を考えると、つくづく先人達の偉大さを感じる次第である。