障害者福祉について
2007/9/8記
 9月6日に医療関係に従事している学生時代の友人から下記のようなメール(抜粋)が届いた。
 
 昨今、福祉施設というと老人福祉施設が多くを占めている。以前からは福祉といえば子育て問題であった。その間の福祉が忘れられてはいないだろうか?
 千葉県では大きな市あるいは旧郡の地域に1つ以上は特別支援学校(旧呼称:養護学校)がある。ダウン症など、先天的な障害をもった子どもたちが少しでも自立できるように学習と仕事を教えている。この卒業生たちがどうしているか?
 地域にはばたきセンターとか、福祉作業所という呼称で施設があり、障害の軽度の人たちは木工細工や農業で幾ばくかの収入を得ている。しかし、この人たちは自立して生活できるほどの収入は得ていないだけでなく、かなり大きくなっても親と暮らし、何らかの手助けを得ている。
 障害の重度の人になると、食事、散歩くらいで何ら生産的なことを行うことは不可能に近い。わずかに畑仕事などを手伝うくらいはしているだろうか。このような人たちの集まる福祉施設は、非常に少なく、特にその負担となる費用は大きい。また、指導できる指導員の養成も不足していると聞いている。
 医療や介護等に人手不足が叫ばれているが、障害者施設の人手不足は数年来のもので、改善されていないのが現状のようだ。公立の施設はわずかで、あっても軽度の人たち向けで、重度障害者向けの施設はほとんど民間の福祉法人経営で、利用者の負担も大きく、子どもを残して死ねない親が多くいると聞いている。
 今から個人質問に間に合わないとは思うが、上総地区の現状について見てみたらどうか。

 
 これに対して私の答えたこと(抜粋)は次のような内容であった。
 
 今までは施設への収納が主な政策であったが、これからは地域生活への移行が課題だ。障害のある人でも地域の中で人間関係を築きながら生活するためには日常支援のボランティア、就労支援をする企業、そして行政の補助がないと抱える家庭が保たなくなる。手厚く保護をする事が望ましいのは言うまでもなく、それが人間の尊厳につながる。
 その一方で、自治体は限られた税源の配分という現実問題を抱える。障害者の支援専門家を増やすことと校舎の耐震化と優先度を付けねばならぬのだ。
 障害者は隔離された福祉施設に集めるより、社会に出そうというのが平成18年に国が定めた「障害者自立支援法」だ。
 本来政治の力を最も必要とする人達の問題で、軽視でないことも承知の上、個人的にどこまでの対応が行政として望ましいのかが整理できていない段階では「現状を聞くだけ」という議会質問は出来ないのである。

 
 以上、質問と回答に記載するのに長すぎるのでこちらに書いた。
 
 弱者を救うために政治はあるが、その一方で都市経営を考えなければならない。むろんこれは相反する事象ではなく、都市を上手く経営することにより、国に頼らずに自分の市民は自分で守り、最小負担で最大福祉を与えるという事が理想である。
 しかし理想に行くまでの課程でどんな事をどの様な順序で取り組むべきかが難しい。それが政治ということなのだろう。