郵便局の民営化について
2007/9/30記
 今日で9月が終わり、明日から10月になる。郵政公社が日本郵政株式会社として生まれ変わる日である。私の社会人生活のスタートになった日本道路公団では、国鉄解体時の技術者を沢山受け入れ、私の上田時代の同僚にも元国鉄マンが居たが、今ではその道路公団すら残っていない。政府機関の民営化がどんどん進んでいるわけである。
 
 日本全国を郵便貯金通帳を持って旅した記憶を思い出しても、釧路原野、西表島、青ヶ島など郵便局が存在してくれたお陰で救われたところも沢山有り、また25年前の全国オンライン化の途中で行った東北で貯金が降りなくなったハプニングも秋田の某郵便局の手助けで乗り越えたことなどを思い出すと寂しくもある。
 
 離島や山間の郵便局は減少していく一方だろう。日本全国何処でも貯金が引き出し預けられる郵便事業は公共サービスとして逆に自治体義務にしても良いように思う事さえあった。
 確かに都会では官業による民業の圧迫という一面も有るが、それはそもそも郵便貯金の金利が銀行より高いことが間違っているのである。
 郵便貯金は財政投融資の原資として公団事業等に貸し付けているのだから、調達コストを下げれば公共事業も楽になるのにと昔から思っていた。予定額が集まらない事への不安で公定歩合より金利を高くしているのであろう。この事は明日から発行する「元気なきさらづ市民債」も似たようなものである。
 
 小泉総理が10年以上前に出した『郵政省解体論』を読んだ記憶があるが、そこでも問題にしていたのは膨大な郵便貯金が事業の採算性を顧みず、ほぼ議論も無く、高い金利で公共投資に流れる事であった。
 具体的に身近な事例を上げれば、東京湾横断道路(アクアライン)に約1兆5千億円が貸し付けられているが、これが4%を越える金利なので、年間に金利だけで約600億円、つまり毎日2億円近くを返済しないと金利も払えないという問題が発生することを懸念していたのだった。こんな事は解体された国鉄が新幹線整備の名目で膨大に借金を行い破産したことの繰り返しなので、少し考えれば分かる話だ。
 しかし財政投融資の問題が薄れ、気が付いたら郵便局の解体になり、地方にしわ寄せが行っている。何処かで道を間違えたことに気が付いているだろうが引き返せなくなったのだろう。
 
 市にも上水道という企業会計があり、下水道という事業会計に近い特別会計が存在している。岩波新書の『地球の水が危ない』によると世界では4億人が民間企業による上下水道のサービスを受けていると言うことだ。近年の流れでは遠からず民営化の議論が出てくると思うが、その時に道を間違えないように気を付けねば。郵政公社が消滅する前日にそんな事を考えていた。