語学教育について考える
2007/10/27記
 駅前留学で売り出したNOBAが破綻した報道が流れている。個人的には英語力の弱さを嫌と言うほど実感しているので英会話学校に行きたくなる人の気持ちも良く解るので支援企業が現れ上手く解決されることを祈る。
 明治時代の先人の苦労のお陰で、高等教育も殆ど日本語で受けることが出来る我が国では、大学生と言えども外国語の習得率が低い。自分自身も出来ないことをそれほど気にせず大学を出てしまった。
 
 語学の必要性を痛感したのは28才を過ぎて、外国を一人で旅した時である。最初に行った台湾では年輩の方が綺麗な日本語を話すので意志疎通に苦労はしなかったが、若者とは筆談で微かに通じあえるだけで有ったのにはストレスを感じた。ホテルや飛行機の予約なども大変苦労した。
 地下鉄工事の技師としてシンガポールに駐在していた友人の所を訪ねると、その娘さんは英語と北京語も不自由なく話せる子供に育っており、奥さんはシンガポールから離れたくないと言っていた。その気持は良く解った。自分も早く、海外に出て語学の必要性を体感するべきだったと思ったものだ。
 
 海外に子供を送り出し、異文化体験をさせることはコストの面で難しいことは分かるが、これからの教育の上で必要なことであろう。特にかずさアークで国際会議が多数開かれるという本市の状況を考えると、市内を一人で歩き回る外国の方に、少なくとも英語で道を教えられる能力は備えさせたい。
 受験用の外国語であり、なおかつアメリカが最大のパートナーという状況では教育における英語の重要性は衰えないが、今後は環太平洋の発展を考えると韓国語やロシア語なども必要に成るであろう。特に中国語の重要性はどんどん高まるだろう。
 
 昨夜から木更津に台湾花蓮市の友人達である青年会議所メンバーが来ている。今日は台風接近の中で、現役が東京モーターショーを見せに幕張に連れて行っているが、日本語を使えない友人を中国語を話せない後輩達があの人混みの中で如何に誘導しているか考えると楽しみである。言葉は重要だと毎年この時だけ強く思う日である。