政局の混乱について考える
2007/11/05記
 7月29日の参議院選挙での与党大敗から始まった政局の混乱も、ついにマスコミの重鎮が政治に介入して大連立の話となり、当然のように否定された結果、民主党小沢党首の辞職に至った。
 
 参議院選挙の前から自民党閣僚による失言や自殺などのイメージ低下で政治に対する嫌悪感が国民に蔓延していた中で、振り子効果の想像以上にも民主党が勝利した。解散の無い参議院では政界再編が無い限り、3年間は確実に民主党が第1党の状況になる。さらに3年前の参議院でも民主党は検討しているので、そこで大敗しない限りさらに3年間は参議院で民主党の有利な状況が続くと予想される。
 選挙の敗北の責任をとって辞職するかと思った安部首相が所信表明の後という、無責任と追求されても仕方ないタイミングで辞職し、自民党総裁選挙を経て福田首相が誕生した。代表質問の受け答えなどに想像以上の熟練さを感じ、野党とも上手く調整していくだろうと思われていたところ、密室会議で大連立の話となった。
 双方とも小選挙区制度における大連立が困難なことは承知しているだろうし、国民も公の場で議論されることを望んでいる事が解らないはずも無い。何故このような事態に至ったか理解を超える。
 さらに大連立を否定されてのは不信任に値すると言い、その上「民主党には政権担当能力がない」と党首自らが言って辞職願いを出すなど、安部首相の小沢さんが会ってくれないから辞めると言うような程度に言葉に重みがない。政治家の出処進退が軽薄になってしまった様に感じるのは私だけでは無かろう。
 
 議論が健全に行われるためには、反対派が一定数存在することが重要で、それにより隠れていた問題点が明らかになることがある。青年会議所活動を行っていた頃も、理事会で執行部と提案委員会を合計した上程側の理事数が、理事会全体の過半数を占めないように人事を行うように気を付けてきた。
 経済の発展のためには政治の安定も重要だが、自民党と民主党という、自由主義経済を基本にした福祉国家という価値観が違わない2大政党による緊迫した国家運営は、どちらが国民や地方のために役に立つかといアイデア勝負になるという意味から歓迎している。その意味では参院選で民主党の大勝も歓迎している。
 しかし、その両政党ともトップが踏みとどまらず、また窮地に立ち上がる次世代の息吹も感じられないと言うのは小選挙制度の疲弊なのか、時代の問題なのか、いずれにしろ深刻なことである。
 これで解散総選挙となった場合、浮動票は行く先が無くなり、棄権に回るのではないかと思うと、政治に対する失望を招いた責任は重いだろう。もはや地方で何とか出来るものではない。
 
 確かに参議院選挙以降、主要法案は全く通過せず、このままでは平成20年度予算の成立すら危うく、その状況を回避したい気持ちは分からないでもない。
 地方自治体も補助事業の予算措置が確定できず、大幅な補正を前提とした予算を組むより、年度始めから確定した中で平準化した執行をしていくことが望まれるので、対立による空白は困るのだ。
 これから自民党は民主党案に擦り寄りが考えられるので、民主党も全て反対するのではなく、公開の議論の中で是々非々の対応をして行く中で政権担当能力を示すという、成熟した政党政治にはならないものだろうか。
 
 
 11月7日:追記
 小沢党首は民主党全体の引き留めで党首に留まった。
 昨日の千葉県内12市議会議員研修会で講師の飯尾先生が言っていた『政局の安定のため衆議院選挙も民主党へ』というキャンペーンを安定感が疑わしい、壊し家気質を露わにしてしまった党首の元で行えるのだろうか。