木更津市の昭和の匂い
2007/12/11記
 12日から15日まで忘年会が連続する事が解っていたので、その日々を会場まで送ってもらう家族に早めのお礼を込め、11日の夜に「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を見に行ってきた。
 市原のちはら台に開店したばかりのユニモを知らないというので見せに行く。木更津の築地でも大型のショッピングモールが出来て、そこにはシネマコンプレックスが出来る計画だと教えながら夕食を取り、夜の映画鑑賞をして帰ってきた。
 
 さて、前作と今回の三丁目の夕日は昭和30年代前半という、今から50年前を舞台にした作品で、母などは懐かしいと言うが昭和50年代の妹には知識でしか解らないようだ。私の場合は、その後に生まれているが東京木更津間の流行の遅れのためか、電化製品の展開による生活の変化を成長とともに経験してきた。
 
 懐かしい街並みという意味では、大分県豊後高田市が昭和をテーマにした街づくりを行い、成功している事例がある。木更津でも西口の商店街や映画館が「木更津キャッツアイ」シリーズの舞台となり全国からロケ地を訪れたファン達に、懐かしく暖かい街として認識されているようだ。
 東京近郊の私鉄沿線のように都市としては昭和50年以降の歴史しか無い開発都市や、旧市街を大規模な区画整理で失った、木更津駅東口のように整然と近代的な街を多く見ていると、路地や寺院のある街にはヒューマンスケールの居心地の良さを感じる事は多くの都市研究家も報告している。防災や効率に難があるとしても都市をその方向に向かわせる事も選択肢から除外するべきでは無いと考えている。
 
 さて、そのような街並みを印象づける素材であったムービーランド(旧日活)が取り壊されてしまった。築地にシネマコンプレックスが出来れば東映や富士館も営業的には辛くなるだろう。そして経営が困難になったときには取り壊される事になるのだろうか。
 今回のように木更津以外で映画を見ることが地元映画館の経営を悪化させている事は理解しながら、夜8時以降の上映時間が無いことや音響・客席の状況・深夜料金設定などで足は外に向いてしまう。それが街並みを失うことにつながることは辛い。
 
 今も営業を続ける施設に失礼な話であるが、仮に経営が行き詰まることがあった場合には、歴史を多く積んでいる施設で無くとも、文化財のように残せないだろうか。市有施設にしてしまうと管理費が重くのし掛かるので、名画座のように運営を行う情熱のある団体が現れる事を期待してしまう。映画の自主運営という意味では埼玉県の深谷市民映画館のような事例もある。それを支える市民の力も試されることになるだろう、なと取り留めのない事を考えながら市原から帰ってきた。
 しかし、木更津旧市街をどうするか。景観条例も含め考えて行かねばならない問題である。