後期高齢者制度が始まる
2008/04/01記
 平成20年度が始まり様々なものが変わる中で、小泉内閣が『三方一両損』という考えで制度設計された後期高齢者医療制度が開始された。後期高齢者という名称には前期高齢者や末期高齢者という言葉が連想されて違和感を覚えていたところ、桝添大臣も同様の思いであったのか『長寿医療制度』という名称を提案した。
 名称のイメージが良くなったところで内容は変わらない。
 現在の高齢者は我が両親を含め、戦前に生まれ青春時代を第二次世界大戦前後の困窮の中で過ごし、休みも取らずに働いて灰燼の中から経済大国日本を築き上げてきた人達である。もっと報いる事が出来なければ、と思うが難しい問題が多い。
 
 理想を追求すれば1973年から1982年まで実施されたような老人医療費の無料化であろうが、病院に溢れ帰る元気な高齢者により若年層が医療に接しにくくなることや、急激に膨れる医療費の増加の問題が発生して中断された経緯を覚えている。
 また、高齢者の中にも所得や貯蓄が豊かな者も多く、現在のワーキングプアと言われる低所得労働者の青年より優雅な生活を送っている事例を考えると労働人口だけに負担をさせて疲弊させる事にも問題が多い。
 法人企業に負荷を課した場合は容赦なく海外に移転してしまう状況を考えると、国内で雇用を発生して貰う事を重視する政策が優先される事にも意義はない。
 
 何年か前に読んだ『佐久に上医あり』(南木佳士著、岩波書店)で、若月医師が生活習慣の改善運動に取り組み劇的な成果を上げ、その運動が長野県全体に広がった結果として低医療費での長寿化が可能となった事を知り感動した。
 さらにその何年も前に読んだ 『自分たちで生命を守った村』(菊池武雄著、岩波書店)では訪問医療と診察により医療費無料化を達成した奥羽山脈深い村の話を読み、卓越した人による地域の改善が可能なんだと、政治を志す遠因の一つになった記憶もある。
 
 最近の漫画の中で『ブラックジャックによろしく』(佐藤秀峰著)が好きな本の一つであるが、その中でも特に癌医療編が心を打たれる物である。テーマの一つはホスピスである。人生の最後を尊厳有る状態で過ごすために医療はどう関わるべきかという事を考えさせられる。日本の漫画の質の高さを表す名作である。
 誤解を招くことを承知で言えば、明らかに先が短い患者に高額の医療費を掛けることは収支の上では全く割に合わない。しかし自分の愛する人達や自分自身の末期が穏やかでありたいと願うことは全ての人に共通のことであろうから医療の高度化も求められることになる。
 
 これが自治体による格差になった場合、住む地域により人生の送り方が変わっても良いのかという気持ちになる。『シッコ』(マイケル・ムーア監督作品)ではアメリカの医療から逃亡するようにフランスで余生を過ごす人達が描かれていた。
 木更津では晩年が過ごせないからと移転を余儀なくされることや、その逆に木更津が過ごしやすいからと全国から高齢者が集まってくることも、そのどちらも有ってはならないように思うのである。
 
 先日で退職された某部長が、福祉は国策と言っていたが全く同感である。福祉政策は難しすぎるというのが率直な感想である。