表現の自由は残るか
2008/04/03記
 このような意見を書く作業にあたり、特定個人や特定の主義を攻撃していないか、弱者への配慮は充分かなどを気にしながら作業進めている。しかし、それと同時に右翼や左翼、さらにはネット上での誹謗中傷者に攻撃の糸口を与えてしまうことも気にしている。市議会議員が実名で記載している以上、何らかの責任を負う覚悟が無ければならないと言う自覚はあるが、余分な敵を増やす必要もないという大人の計算が有ることも事実である。
 
 さて、『靖国 YASUKUNI』(李纓監督作品)が自民党議員による文化庁の助成金を拠出するに妥当な映画か確認するという意見の元で全議員を対象とした視聴会を開き「政治的に中立かどうかについては疑問が残る」という意見を受けてしまった。
 これは検閲でも無いのであるが、右翼にとって絶好の攻撃の材料となってしまったようで、今週からの上映予定が取り消されるなど波紋を広げている。
 
 靖国神社については暴力的なまでに否定的な書籍も出ていたり、いまさら問題にする必要もないと思うのだが、攻撃に転じる右翼も、問題を回避した映画館も、どちらも情けなく思うところである。
 たしかに、上映中に街宣車が横付けしたりすると近所の方々に迷惑を掛けるという配慮は痛いほど解るが、それは遠回しに表現の自由を奪っている。映画館の近所の方々は 『気にせずに上映しろ』と逆に励ますぐらいの民度が有っても良かったのに、と思うところである。
 
 さて、現在築地で計画されているイオンにはシネコンが入る計画になっており、富士館や東映などの既存映画館は存続が危惧されている所であるが、このように上映が難しくなった映画を積極的に上映する『気骨溢れる映画館』として世間の注目を浴びながら生き残って貰えないものか、とニュースを見ながら思ったところである。
 昨日が長かったので今日は短めに終える。