濃度と総量
2008/04/05記
 3月31日に配信された時事通信では、
 『中国製冷凍ギョーザ中毒事件で、千葉県警は31日、千葉市の母子が食べて中毒を起こしたものと同じ袋にあった未調理のギョーザの具から、最高1万9290ppmという超高濃度の有機リン系殺虫剤「メタミドホス」を検出したと発表した。メタミドホスの残留基準値はニラなら0.3ppmとされ、検出濃度はこの6万4300倍に当たる。県警は「袋の外側から浸透したとは考えにくく、袋詰めまでに混入した可能性が高い」としている。母子が吐き出した皮や具からも、それぞれ1470ppm、1240ppmという高濃度のメタミドホスが検出された。
 これまでの最高濃度は、同県市川市の一家5人が吐き出した皮から検出された3580ppmだった。今回は、加熱調理されていない分、高濃度になった可能性がある。同じギョーザを販売元の生協側が鑑定した際には130ppmが検出されていた。 』

 という記事があった。違和感を感じたが、その後何らかのフォローがあるかと思っていたが、何もないので思うことを書く。
 違和感とはppmの単位での議論が進んでいることである。
 
 多くの人が知っていると思うがppmとはParts Per Million の頭文字をとった言葉で、「100万分の1」の意味である。従って比率の意味であるから、極少数の分量から高濃度の検出が有っても総量は多くない可能性がある事を認識して議論をするべきなのである。
 
 例えば、今回の場合は1万9290ppmの濃度と測定された餃子を何個、何グラム摂取したときにメタミドホスを何ミリグラム摂取したことになり、それは体重何キロの人にとって致死量と言われる量の何倍になっていた、という所まで伝えないと意味が薄いのだ。
 
 同様の問題は汚水の基準であるBODやCODにも見られる現象である。BOD=生物科学的酸素要求量とCOD=化学的酸素要求量はどちらもppmの単位なのである。
 これらの数値が悪化して来た場合、綺麗な水で薄めれば濃度が下がるので値は改善するのである。実際、希釈されることにより河川や海洋での影響は少ないので、有る意味では適切な値とも言える。
 しかし、総量が解らないと総排出量が解らない事になる。例えば何か問題を起こしそうな施設を山中に作りそうな場合は、沢水や湧水も確保し、それで希釈して流すことで問題を誤魔化すことが可能となるのである。沢水や湧水を確保できない場合は貯留しておき、大雨の時に敷地内の流出水と同時に流せば値の上では問題が発生しない。でもそれは正しいのだろうか。
 
 さらに多くの問題が比率と絶対量の間に隠れている。
 例えば6月議会で私の質問した地震被害の件で、執行部は『阪神大震災では窒息死や圧死による犠牲者が約83%であり、その死亡推定時刻は地震発生後の15分以内が92%である。だから犠牲となられた方のほとんどは、水や食糧の不足、あるいは、消防や警察の出動体制の不備で亡くなっているのではない』という結論となる。確かに計算すると76.4%の人が地震後15分以内に窒息死か圧死で亡くなっているから、表現的には正しい。
 しかし犠牲者約6400で計算すると地震後15分以内に約4890が死亡している一方で、15分が経過した後に火事や避難所での病気で1510名以上が亡くなったことになる。この1510名は少なくて無視できる数とは思えないであろう。
 
 なお、余談だが阪神大震災の話を少し記述したい。
 火事については消防力の限界だったことを理解できる。
 避難所施設の整備については、あれだけ大規模な避難生活は経験したことが無くて想定外のこと、例えばトイレが汚くて行く気になれず水分摂取を控えた結果の体調不良で病死、などが発生したのであるが、今となっては阪神の教訓を元に対応する事が出来るだろうと思うところである。
 
 このように、濃度というような比率だけで進められる議論については常に全体像を見る視点を持たないといけないのであるが、どうして新聞まであの調子なんだろうと気になるのである。