公私の公とは
2008/04/06記
 新年度となり各組織で新人を迎え、公私のけじめを附けて仕事して下さい等という社長挨拶を受けていること思う。私も道路公団に入社して本社研修を受けて7月から現場配属になり、自分が監督する仕事の現場代理人に食事を御馳走になって帰ってきたら、先輩から大目玉を食らったことを思い出す。
 
 ところが、木更津に帰って自分で仕事をするようになってから公私の区分と言うことで悩むことが多くなった。
 例えば、自分の私企業が請け負った仕事で残業時間になる打合せと非常勤特別職という公務員である消防団の訓練では、どちらが公なのか、とか、住宅都市整備公団法に基づき設置されている住都公団の派遣的社員の仕事と、社団法人かずさ青年会議所に木更津市から委託されて出向していた情報公開制度審議員とではどちらが私的行事なのか、など訳が分からない問題に直面していた物である。
 その時の判断基準は、どちらが私を必要としているか、逆に言えばどちらが自分が居なくても回るのか、という点であった。従って会計検査の受験期間のように待機が暗黙の了解であったときでも、必要だったら携帯に電話して下さい、と持ち場を離れていた。職場以外に公的な仕事があることを理解できない発注者には随分文句を言われたものである。
 
 現在は自分に投票していただいた有権者の思いを深く受け止め、定例議会や委員会・議員協議会は当然として、地元からの要望で市に打合せに行くことや、問題が近接していて職員から情報入手や意見交換を急がれる場合は私的な仕事は後に回している。これが私の『公』の立場だと割り切れているから楽である。
 
 今回の年度末で業務多忙に付きと応援依頼を頂いた会社も、私の立場を理解していたので、私が私の判断で公と認めた場合はそちらを優先する事が前提であった。だから1月から3月までの3ヶ月で朝から晩まで通して働いたのが僅か18日、遅刻や早退して半端な勤務となった日が22日と、合計で40日しか労働出来なかった。私の公を優先していただき心から感謝するところである。
 年度末の残務も間もなく終わるのでそこから手を引き、また雑仕事で細々と食いつなぐ日々が始まるのである。議員の公を優先すると仕事は取り組みにくいというジレンマを感じることもある。
 
 地元に勤めた人の何人かは消防団や区の役員、PTAなど多くの公務を経験することになると思う。サラリーマンとして続ける以上は収入を保証する人が重要と考えることは至極当然であり、業務多忙の折りには公務を遂行できない状況も出来るであろう。
 調整能力や説得能力も高めていただき、仕事という職業的公の部分と地域などの公の部分を上手く調整して、積極的に世間と関わる住民が増えてきて貰いたい。新年度にその様なことを思った。