四川省での大地震で思う
2008/05/14記
 中国四川省で大規模な地震が発生し、多くの被災者が発生している。省の単位でも人口は87,225,224人(2006年現在:ウィキペディアによる)も居るので、欧州最大の人口であるドイツ連邦共和国より多い。 直轄市として省から独立した隣接する重慶市の人口の31,442,300人を含めると、ほぼ日本と同じ人口である。関東大震災や阪神大震災でも日本中が揺れることなど無かったのだから、災害の人的規模が大きくなることは簡単に想像できる。
 
 地震国日本としては、医薬品、食料、仮設住宅等の援助を速やかに行うべきであるが、第二次大戦中に中華民国の首都になった重慶を空爆した日の丸が翻ることに抵抗も多いであろうと思う。その感情のために救える命も見捨てることになることは辛い。特に中央即応集団として東アジア最大のヘリコプター部隊を持つ木更津市から支援に行けないことは残念でさえある。
 
 地震災害に対する支援のことより、今回は映像を見て感じた耐震対策の不十分さに憤りを感じる。インドプレートとユーラシアプレートがせめぎ合う場所で地震の可能性も高いのに、ほぼ何の対策もされて居ず、先生と生徒、医師と患者などが瓦礫の下に埋まってしまったという状況は、日本国内で発生した場合は人災と言われても仕方ない。新聞によると中国国内でもそのような議論はネット上で起きているようだが当局の規制に遭っているようだ。
 
 しかし、本当に日本国内で、さらには木更津市内で同様な現象は発生しないと言い切れるだろうか。本庁舎の耐震診断も今年度に予定していないし、学校の補強工事も6月議会で契約を予定している2件(第一小と波岡小)を含めて31校中6校に過ぎない。それらには体育館部分は含まれていないので全て手つかずで有る。なお、建て替える第一小学校や新基準の巌根西中等も有り、補強が必要なのは全数ではない事を付け加えておく。
 旧基準の建築でも中国のブロック積み建築より遙かに耐力は有ると考えられるので、せめて神戸級の被災で済むとは思うが、明日は我が身と思う気持ちが大切である。
 
 公共の施設も重要だが、個人所有の建築物も酷く破壊されている映像が流れている。その倒壊で住民以外にも被害が及ぶし、緊急車両等の通行の障害になるし、救援範囲が拡大して捜索が大規模化・長期化してしまう。個人の所有物は個人で責任を持って強化する社会の重要さを考えてしまう。
 
 事は建物の強度だけでない。今回の四川では治安の混乱は生じていないようだが前のロス地震等での暴動を見ると、援助の人員以外にも治安維持の人手が必要となり、効率的な活動が出来ていなかった。神戸の整然とした姿は世界中に感動を持って迎えられたが、現在の教育の先にも同じような秩序は残せるだろうか。
 
 個人の建物を賢固にする。自分の身は自分で守る。社会秩序を維持する。近隣住民を自主的に支え合う。・・・etc
 そのような国民性のお陰で、どれほど財政支出を抑制しながら良い国家、良い郷土を維持して来れたのかと考えると、改めて民度の維持向上と、自分に何が出来るかも深く考える。
 
 子供の頃のように、自宅に鍵などかけなくても安心できる社会を再度目指すことは、時代に逆行する夢であろうか。