パソコンの進化に思う | ||||||||||||||||||||||
2008/05/25記 | ||||||||||||||||||||||
HPのデータや各種資料が増えてきたので今までのようにデータのバックアップがCD数枚に収まらなくなってきた。そこで最近安くなってきた外付けのHD(120GB)を購入してバックアップを行うように変えたのは昨年末の事であった。当時は年度末の多忙もありパソコンのバックアップだけに留めていた。 先週の17日に、6月議会開始前の時間を利用して過去の図面や写真などCD化していた資料も、CDの化学的劣化による情報損失という事態を回避するために、まだ容量が多く残るHDに整理を開始した。1枚づつパソコンに取り込んで、フォルダーをHD内に整理しながらのデータ移動になったので、昨日まで総作業時間は40時間を越える仕事になってしまった。おかげで首や肩が痛い。 思えばパソコンも進化している。今回は少し昔を振り返りたい。 私が大学に入学した1982年の少し前にNECがPC-8001を販売した。実質的なパソコン時代の開始である。所有しているものは同じ学科の同級生に一人しか居らず、私も手が出なかった。確か周辺機器も購入すると当時の国立大学の年間授業料と同じぐらいの金額であったように覚えている。まだ当時のPC-8001にはグラフィック処理能力もなく、入学後に発表となったPC-8801の映像に衝撃を覚えたものの、やはりコストの上から手の届かない世界だと感じた記憶もある。 唯一所有する友人のパソコンでゲームを遊ぶ場合にも、まずは雑誌に載っているN-Basicのプログラムを入力し、何度もバグを取り除き、カセットテープに保存していた記憶がある。 10 N=1 20 N=N+1 30 PRINT N 40 IF N>20 GOTO 10 50 END などのような文章を何十行も入力をしていたように覚えている。 卒業論文は構造解析であり、コンピュータの繰り返し計算を必要とするものであったため、情報工学科が数億円を掛けて購入した3階建てビルに相当する大型コンピュータを時間借りして作業していた。使用料が高額であったので収束計算を如何に上手く組むかが勝負だと担当教授に指導され、慣れたN-Basicでなくフォートランという言語と戦った記憶もある。 大学を卒業する頃には比較的安価になったPC-9801MarkUが研究室に配置され、データもFDに残せるようになり、印刷機もドットが細かくなって、技術的随分進化が進んでいる事を感じた。 このような時代の流れの中で、同級生の就職先も学んだ専門性を活かせるところではなく、当時人手不足が切実な電子関係に行くものが半数近くいたように覚えている。この後のドッグイヤーと呼ばれる激しい変化の流れの中、第一線で未だに頑張っているという友の名は聞いたことがない。 社会人になった翌年の昭和62年に、国の関連機関の先頭を切って道路公団で積算の電子が導入され、その研修や講師をした記憶もある。運用後も毎月のように不具合や改良点が見つかり、頻繁に更新作業が行われていたものである。積算以外の計算も既に殆どが表集計ソフトを使用するようになり、この頃から手書文章は公文章として扱われない空気も出きてきた。 何かの未来予測等も『コンピュータが導き出した結論です』と言うと説得力が有るように思わせることが出来るが、プログラムを組む人間の能力次第だと、このような過渡期を経験しているものは痛感している。 道路公団を退職し、自宅に帰ってきたときに真っ先に欲しいと思ったものはパソコンであった。当時はNECからノート型の初期機が発売されたばかりで金額も高かったが退職金で購入した。液晶も単色で能力も低かったが、頭脳を一つ手に入れた気がした。 その後、現在まで通算4台のパソコンを使用してきた。購入日や金額などを調べてみたら次のようであった。 |
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機種はNECに偏っている。大学時代にPC98ばかり使っていた癖が抜けないせいだ。木更津ならアカデミアに大規模な用地を取得した富士通に変えるべきかと思うが、何か工場でも立ち上げるまでは現況で構わないと思っている。 その後の身近な変化の中では、図面が手書きでなくCAD化する事で便利になる反面ミスに気付かない担当者が増えたと思うことや、測量器械もレーザーの発達により光波が主流になったこと、計算と出力が自動化されたため報告者が分厚くなって必要な情報が見えにくくなったこと等が仕事の上では有った。 所属していた青年会議所でも会議資料の電子化を1998年より推し進め、今では会議室に各自のノートパソコンが用意されるためフロアは蛸足配線の海である。これでコピー用紙は大幅に削減されたものと思う。会議の内容が高度化されたかというと、その点の自信はない。 ただパソコンの演算速度の速さと容量の拡大は桁違いに進んでいき、私が卒論作成で多額の使用料を払って3時間程度で解析していた程度の計算は、表集計ソフトのマクロ計算を使えばパソコンでも瞬時に終わるようになった。能力が高くなればなるほど、パソコンの所有する能力のうち、ほんの僅かしか使用していないという現実に気が付いていくこととなる。 記憶媒体もテープからFD、MD、CD、DVDとどんどん大容量化して来たが、どれも長期保存に向かない事が明らかになり、現在でも大きな問題になりつつある。私的な情報が失われるだけなら悲観すれば良いが、公的情報が破損した場合の混乱を考えると紙資料としての保存も求められ、一概に省エネルギー化したとは言えない。 写真はフィルムからデジタルに変わり、知人の写真屋さんは売上が激減したと言うが、考えてみると私も選び抜いてからプリントする程度である。デジタルでは撮影時間や機種など情報が多く含まれるので便利な点も多いが、記録写真でのねつ造がつきまとう問題となっているようだ。 また、私のように昔は文章は一太郎、計算はLotusで有ったものがWordとExcelが主流になる中で、データの互換が出来ない部分の対応をどうするかなどの問題は今後も様々な新ソフトの開発によって続く問題であろう。 インターネットの普及で、辞書より便利になった面も多いが、迷惑メールやウイルスによる破壊や情報漏洩の問題など、負の現象も少なくない。それでも多くの知識を供用できる事から生じるメリットには及ばないであろう。 学校の裏サイトでの書込によるいじめや、2ちゃんねる等での匿名性を利用した誹謗中傷、情報捏造など負の面には、法的な対応を考えていくなど、社会の進化に遅れないように制度整備も進めなければならい。 これからはコンピュータを過度に信頼せず、適切なツールとして使用し、増え続ける情報の中で質の善し悪しを見極めていくことがコンピュータ時代には必要になる資質である。 ローテクだった頃のコンピュータを知らない世代にも、所詮は人間が作るプログラムだからミスも多い、という気分だけは持ち続けて貰いたいと思うところである。 議会人としては、自治体の電子化の流れの中で、コンピュータはブラックボックスと思考停止せず、本当に適正な執行が成されているのか見極める必要が有ろう。そんな視点で1週間後に迫った6月定例議会への質問通告を考えていた。 |