公共財産への落書きについて
2008/06/29記
 6月27日配信の時事通信によると、京都産業大の男子学生3人がイタリア・フィレンツェの大聖堂に落書きをしていた問題で、同大は3人を停学14日の処分とすることを決め、本人たちは謝罪文を送り、消去作業にも参加する方向らしい。
 
 このニュースの場合、『世界遺産』である『ヨーロッパ』の文化財に『日本語』で落書きしてきたことが非常識であると非難されているだけのような気がしている。つまり日本人の品位が欧米社会で低下することが社会的な断罪を受けているという事であろう。
 では、文化財でもない、国内の公共財産に落書きを行った場合はどうなのかというと、悪いことで有ることに違いはないのだが、犯人を捜し出して消去作業に従事させる所まで行く例は少ない。
 
 例えば木更津において最も落書きが目立つ場所は中の島大橋であろう。木更津キャッツアイのロケ地に成ったこともあり全国から大勢の観光客が訪れ、膨大な落書きを残していった。また観光客だけではなく、地元の若者と思われる落書きも近所の便所の壁などに満ちあふれている。

便所の壁

橋脚部分

手摺り部分

路面のアスファルトにも・・・
 潮干狩場へのアクセスルートであり、木更津市のシンボルに成る場所だから、市や観光協会による消去作業が何回も行われてきたが落書きの速度に追いつかず、無法地帯状況に成っている。
 
 今回のイタリアは例外にして、そもそも落書きに対する罪の意識を醸成してきていない文化があるのだとしか思えない。
 例えば、横浜の根岸線高架下の落書きは横浜らしさとして奨励されていた部分もあったし、昨日最終回を迎えた人気ドラマであった『ごくせん』では教室の壁や黒板一面に落書きがあっても最後まで消されようとしていなかったし、古くは千社札のように宗教的な感覚で寺社仏閣に張り付け回ってきた民俗である我々には、やはり落書きをどこか許容する部分があったのではないかと思う。
 
 治安の悪かったニューヨーク市で市長になったジュリアーニ氏は地下鉄の落書きを徹底的に消し回った。これは僅かな違反(落書き)が無法感を醸成し、やがて大きな犯罪に繋がっていくという「ブロークン・ウィンドウ理論」に従ったものである。そして見事に犯罪率を半減させ、現在ではアメリカでは治安の良い都市の一つに成っている。
 その事をふまえ、現在の中の島大橋における落書きを見ていると、市民の間から『木更津は怖い街』という声があがる理由も解る。消去作業も必要だが、落書き防止を呼びかける看板の設置や、カメラ設置による犯罪者の摘発なども今後の視野に入れて行かねばならないだろう。
 少なくとも落書き以上に景観を破壊していると私は感じる、市の管理する錆び付いた看板(右写真)を、『先ず隗より始め』るためにも、何とかしなければ成らないだろうと現地を見に行って思ったところである。
 
 イタリアと京都でのニュースを見ながら、そんなことを思っていた。