日本を支える人材について考える
2008/08/04記
 日本の少子化による労働人口の減少を受けて、看護士等を中心に海外から多くの技術者を招こうという機運が高まりつつある。
 労働力だけでなく、世界中から優秀な学生を日本に集め、そのまま国内で就職して貰ったり起業してもらううことで国の活力を維持しようと言う意見も聞こえる。アメリカの先端産業の成功は中国やインドなどからの技術者流入によって成り立っていることが大きな根拠であるようだ。
 
 憧れのハワイ航路の時代から考えれば、極めて容易に国境を越えられる時代になる中で、労働市場を閉鎖し続けることが困難になっていることは容易に理解できるし、異なる考え方との接触は摩擦も生むが新たな発展のチャンスにも成る。周りを見れば国際結婚も珍しい物では無くなっているし、海外赴任歴のある人達も大勢居て、国際化は順調に進んでいることが解る。
 群馬県太田市や静岡県浜松市等では日本国籍を所有するブラジル人が大勢働いているし、北海道倶知安町では不動産市場がオーストラリア人の購買力で支えられている。羽田空港が国際化する中では地理的条件を生かして木更津が海外からの土地需要を満たす立場になるべきだというのは私の持論でもある。
 
 しかし、その一方で考えるのは海外から優秀な頭脳を求めることより、国内に眠る修学機会を失われた人材をどうにか出来ないかという事である。
 具体的には近年の物価高と所得減少で、大学の定員にゆとりが有りながら進学を断念する人達に、もっと機会を与えられないだろうかと思うのである。
 
 私が大学に入った昭和57年は、既に26年も前の話になってしまったが、国立大学の入学金は10万円、授業料は年間21万6千円であった。留年していた先輩は年間14万4千円しか払っていなかった。さらに生活費も地方都市であったので、例えば家賃は1万円強が中心で、月3万円の小綺麗なアパートに住んでいたら金持ち扱いされた物である。ちなみに私の部屋は築80年を越えた日露戦争前の住宅で家賃は1万3千円であった。
 そのような金額だったので、バイトだけで生活費から授業料まで全てを賄う友人も居たし、学生の間ではご飯に大根の葉を炒めたおかずだけのような貧困生活は当然であった。先輩から5万円の中古車を5回分割で購入することなどは不思議でもなかった。
 
 先日、国立大学に子供を進学させた知人と話していて、現在入学金は28万円、授業料は年間53万円を超えてると聞き、その間の変化を考えさせられた。たしか当時ではバイトの時給も600円程度は貰っていた気がするが、現在では900円程度であろう。バイトだけで卒業するような学生は居るのだろうか。
 気になってここ30年間の変化を調べてみると入学金と授業料の推移は下図のようになった。
 昭和57年(1982年)と比べると、入学金も授業料も著しく増加していることが解る。
 
 確かに私立大学に比べ国立大学は未だに安い金額であると思うし、特に学部間での差を付けていないため理工学系統では相対的にはかなりの得になっている事は解る。さらに団塊jrの世代に合わせ定員を増加させてきている上に、独立法人化で採算性を求められれば値上がりもやむを得ないことであろう。
 あまり安価に設定することは国立大の学生だけ利便を与えることになり公平でないとか、その投入した税金が結果として就職先の企業の役に立つだけという反対論も聞く。さらには海外で就職した場合は税金が有効に利用されないという意見すら有る。しかし、その考え方は、優秀な人材を国策として育てるという視点が抜けているのではないかと思うのである。
 
 一方では学生側にも知的水準の低下とか、意欲の減少などが報告され、少数精鋭主義にするべきではないかという意見もある。私も全ての国立大学を安くする必要はないと思うが、ごく一部の学校では学生生活が公的に支えられるべきと考える。現在そのような学校は防衛大以外に思いつく物がない。
 
 医師不足に悩む地方では、地元に帰ってくることを条件に、医学部へ進む学生への奨励制度を設けているケースが有ると聞く。優秀な人材を育てる事まで地方自治体の責務になって、その結果として地域間格差が生まれる時代というのが来ているのかも知れない。
 まるで江戸時代に藩の期待を背負って都へ旅立たせたような、時代錯誤を覚えながら将来を心配していた。