ヒロシマの日に思う
2008/08/06記
 今日は広島に原爆が投下されて63年目の日である。
 
 『西暦』という意味のAD(ラテン語のAnno Domini:主の年)を1945年に終了させ、AH(After Hiroshima)という概念で新しい時代を考えようと言う投書が今から20年前ぐらいの新聞に載っており、それを今でも覚えている。
 
 核という、生物スケールを遙かに凌駕したエネルギーを発見してしまい、それを兵器として利用した人類は、確かに新たな時代に入ったのかも知れない。とても人類絶滅に繋がりそうな全面戦争を行うことが出来なくなり、国際政治は対立の中にも対話の重要性を理解してきた63年間であると思う。
 しかし、近年では技術水準が向上したことで核兵器の製造が容易になり、対話を重要視しない国家でも核兵器を保有する傾向が進んでいる。近い内に『核テロ』の発生が危惧されるし、これまでの時代の中で朝鮮戦争でマッカーサーが使用許可を求めたことやキューバ危機など核兵器使用の可能性は高まったことが多い。それでもナガサキ以降は現在に至るまで攻撃を目的とした核兵器の使用がされていないことは幸せだと認識する。
 
 大学に入った年には核兵器廃絶を求めるSSDUにも参加したことを思い出す。イデオロギー色が強くて、その後の活動は協調しなくなったが、思えば近年は東西冷戦の終結に伴い、核廃絶を訴える大規模な活動を見る機会が少なくなった。
 
 63年という年月を考えると、7歳の少年が70歳になるわけで当事者としての記憶がある語り部も全て高齢者になっている状況である。攻撃をしたアメリカ側と被害を受けた日本側の全ての当事者が居なくなるであろう、さらに30年後ぐらいに原爆投下の歴史的意味が冷静に討議されるのかも知れない。個人的には2発も使用したアメリカの罪を適切に判断される時が来ることを期待したい。
 
 テレビでは関東で最初に非核都市宣言をした習志野市で行われた祈念行事の映像が流れていた。都市としての宣言の有無に関わらず、核兵器がどのように非道な結果を生み出すか、個人のレベルで認識をし続けねばなるまい。
 ヒロシマの日にそんな事を思いながら、航空自衛隊で行われた盆踊りに出席した。