日本の目指すべきものを考える
2008/08/24記
 世界から204ヶ国が集まった北京オリンピックが閉会した。次回は南オセチア共和国とかアブハジア共和国とかが加わる可能性も高いので、ロンドン大会ではさらに国の数が増えるだろう。
 千葉県はおろか木更津市より人口が少ない国でも参加している事例が多く見受けられたが、その様な中で人口270万人のジャマイカが陸上短距離で放った光が今回の大会の記憶になろう。
 日本国内でも長野県野沢温泉村のように人口が少なくても何人ものオリンピックメダリストを生んだ自治体が有ることを考えると、房総半島でも長柄の日本エアロビクスセンターや勝浦の武道大学等の資産を生かして、世界に通じる房総人を作ることも不可能ではないかな、と思ったが今回はそのような話題ではない。
 
 週末に登山を考えていたところ、天気予報が悪く、晴登雨読としようと週末は仕事の傍ら、読書に時間を費やした。読んだ本は
 「ニッポンの評判」(新潮新書:今井佐緒里著)と
 「溶けゆく日本人」(扶桑社新書:産経新聞社取材班)である。
 
 前の本で、日本国の評判を高めた優しさや礼儀正しさ・時間や約束を守る慣習・質素で勤勉な国民性など、世界に誇っていた美徳が多くの国際援助や政府支援以上に好感を持って受け入れられていたことが解る。民間人の一人一人が外交官だったと思う。
 後の本では、その様な美徳が過去の物になっていく現場の声が産経新聞社の取材で明らかになっていく。自らを振り返っても恥ずかしいことが多く出てくる、道徳書に使っても良さそうな本だった。
 
 日本の敗戦後、欧米を追いつけ追い越せという精神構造で驚異的な高度成長が進み、気がついたら世界のトップランナーになってしまった。世界に追いついたら次の目的が見えず、国家も国民も右往左往している状況だという意見を良く耳にする。経済という視点だけなら大勢ではそのように自分も思う。
 しかし国民の規範意識という点では、目標にすべき国が過去に存在していた日本ではないかと、最近思うのである。
 
 個人としては礼儀正しく秩序を守り良く学び勤労意欲も高く、地域としては防犯や福祉などの担い、国家は高い目標意識を持ち高潔に営まれている・・・という点は失われた美徳かも知れない。
 むろん、個人の自制が能力を封じ込めたり、地域での長老支配や村八分のような封鎖的弊害もあり、国家は軍国的な方向に進むなかで国民の自由や権利さらには財産生命まで侵害するようになったという、改善が必要な問題点も有ったのは事実である。
 
 過去の間違いを元に全て前の体制を否定するのではなく、失われた理想郷を取り戻すような事が、これからの日本の目指すものではないか。オリンピックの閉会の日にそんな事を考えていた。