大家族制度を考える | ||
2008/10/17記 | ||
今月になってから「子どもの最貧国・日本」(山野良一著:光文社新書)と「生活保護vsワーキングプア」(大山典宏著:PHP新書)を連続で読み終え、現在は前に読みかけだった「下流社会」(三浦展著:光文社新書)に取り掛かった所である。 前の2冊で共通して語られていることは、幼い子どもを抱える母子家庭に充分な福祉が行き届かない場合、児童虐待や育児放棄などにつながり、最終的に行政の負担も大きくなる可能性が高いという事であった。現在の少子化の流れの中でも対策を正面から考えなければならない問題である。 さて、一昔前は我が家の近所でも親子3世代や4世代が同居して、沢山の兄弟がいる世帯が多くあった。その当時は何も不思議に考えていなかったが、今考えると世帯主は自分の両親やさらに爺婆と同時に多くの子どもを扶養していた事に今更ながら驚く。 年長の子は家事や保育の手伝いをする事も当然であるし、勤めに出ていない両親は畑作業で食材を供給するなど全面的な扶養を受けている事でも無かったし、何より贅沢品だけでなく、現在では当たり前である車の所有などもおぼつかなかった程大変だったが、現在の追いつめられた世帯のような貧困感が無かったのは、世間全体が貧しかったかもしれない。 労働と居住の自由化によって人々は多くの可能性を手に入れることが出来るようになったが、その一方で親類縁者からの支援が期待できない貧困者が多く発生している。 昔は家の中の年寄りや年長の子どもが見ていた乳幼児は、今では保育園で育てることになり、住み慣れた家の中で老いを迎えた老人は、施設で過ごしていくことになる。 主婦の過酷な犠牲が無くなった事は喜ばしいことであると理解するが、多方面から福祉を考えると難しいことが山積みである。 そんな中で、アジア的大家族制度を上手く取り入れた住宅政策というものが有っても良いのでは無いかと思えてきた。近似的にはグループホームがそれかも知れないが、もっと多くの血縁者が混在して、互いに支え合うような制度がないと、いつかこの国は疲弊してしまうか、福祉保護者を納税者が憎むようなギスギスした世の中になってしまうように思える。 地方自治体で出来ること、地域が行えること、国策の部分など複雑に絡み合うが、良い世の中を作っていきたいものである。 |