木更津市の人口動態を考える | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2008/11/10記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
木更津市ではここ数年人口増加が続いており、これは住宅奨励制度も含んだ市の総合政策の成功であると言われている。しかし岩根小学校では今春の卒業生86名に対し新入生が64名になるとか、木更津駅西口では住宅や商店が取り壊されて空き地になるなど人口減少を感じさせる局面も多い。 そこで2000年から2008年までの地区別住民基本台帳人口を整理してみたところ次のような結果になった。 |
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旧木更津地区と波岡地区の人口が伸びて、それ以外は減少している傾向が見える。 これを2000との増減を計算し、図表にしたものが下表及び下図である。 |
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木更津地区は請西東、波岡地区は港南台と羽鳥野へ人口が集中している感覚は持っていたが図表にするとこんなに顕著になると思わなかった。清川地区が最近上向きになっているのは、ほたる野への入居が始まったからであろう。木更津と波岡と清川地区で5,826人の増加が有ったことで、それ以外の地区における2,863人の減少を補っているのだ。岩根では8年間に996人もの減少と考えると、地元議員として何とかせねばと考えてしまう。 岩根は元の人口が2万人弱も有るから、減少割合としては元の人口が少ない場所の方が大きい。そこで2000年を100として各年の地区別人口の割合を整理してみたところ次のような結果になった。 |
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鎌足・金田・富来田では8年間に約1割、岩根と中郷でも約5%の人口が減少したことになる。それを木更津と波岡地区が1割程度の人口増加によって打ち消し、人口増を達成したことが一目瞭然となった。特に2005年羽鳥野が完成してからの波岡地区の延びが顕著であり、2007年以降にほたる野と請西南の効果が出てくることも容易に推察できる。 岩根が2007年で小康状態になったのは規制緩和で農地に住宅が建てやすくなった事も関係しているだろうが反転するかは微妙である。それ以外の農村的地区では日本の人口減少率を上回る勢いで人口減少が今も進んでいるのだ。 郊外では公共交通機関が減少して交通弱者に厳しい環境にある。青森市や富山市では除雪のコストを抑えるため、そのような地域から市の中心部に人口を集める施策を行っている。具体的には公営住宅の建設等である。 羽鳥野やほたる野等への人口集中は、決してコンパクトシティにつながる動きではない。しかし既存集落からの人口減少は、有る意味でコンパクトな街づくりになっている。地域の歴史や伝統の継承、中山間地や海岸の保全等を考えた場合、集落の活性化も必要であると考えるところであるが、最小コストで最大福祉を目指す場合にはコンパクトな街づくりは避けて通れない。そんな中で、木更津や岩根駅前の閑散とした状況は何とかせねばなるまい。 市の人口動態の結果を前に、望ましい都市像の議論が必要であると感じるところである。 |