デポジット制度を考える
2008/11/24記
 本日、bayfmが呼びかけ、1日に同一目的で参加した清掃活動の人数としてギネスブックに載ることがあり得るという『湾岸まるごとゴミ拾い』に一般参加を行った。木更津駅から港までのゴミ拾い作業の中で改めて気がついたことは、ゴミの個数で圧倒的に多いのが煙草の吸い殻であり、次いで飲料の容器、コンビニ等の袋(中身にゴミが満載の場合も多い)であるということだ。ポイ捨てが横行していることを手を動かしながら認識しながら、ゴミを拾いあう参加者と話している中でデポジット制度の事を考えていた。
 
 デポジット (deposit) とは、「保証金」と訳され、容器やサービスを利用する際に必要なカードなどを貸借する際に支払う「預かり金」のこと。使い捨て防止の観点から導入され、一般に、発行元に返却するとその支払った額が払い戻され、破損・紛失した場合には戻ってこない場合が多い。使用済み製品や容器の回収率が上がりリサイクルや適正処理が進む、ごみの散乱を防ぐことができる。[出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)]
 
 昔、私が子供の頃には牛乳やコーラのビンを返すと10円程度のお金が帰ってきた、あの制度の復活・拡大によってゴミの投棄が減り、さらに捨てられているゴミを回収して現金化するものが現れれば街も綺麗になるだろうという事である。
 自動販売機が急速に普及した25年ぐらい前に導入が議論に上がった事もあったと記憶しているが、当時百円だった販売価格に端数が付くことでお釣りの問題などが生じると業界が大反発を行い、流れた様に覚えている。
 その後、自動販売機の価格も110円や120円という端数を持つようになったが、デポジットの話は誰もしなくなってしまった。
 
 ビン・缶・ペットボトルなどのように資源化できる容器に入っている飲料を販売する段階で、回収・運搬・分別等の費用を含んだ価格にするよう法律を作れば劇的に投棄ゴミは減少する。
 資源化が困難なものでも、例えば煙草のフィルターや紙パックのジュースまで全てデポジット価格を転嫁すれば、それを回収することで成り立つ生活が発生し、市内のゴミが自然と解消出来るだろうと考えるのである。
 
 こうなると煙草などは1本数十円も高騰し、その費用が適切に使われれば理想的であるが、結果として大きな天下り団体を作るのではないかという危惧が生じる。
 また回収分別処理までを含んだ価格を転嫁すると昔のビンのように10円程度では済むはずが無く、価格高騰による消費の低迷という問題も生じる。
 さらにはデポジットが一部地域で行われると、域外からの搬入により制度の持続が困難になるから国策として全国一律に取り組む必要が出るが、デポジット価格が高くなると海外からゴミを密輸してそれで換金する輩まで現れる可能性もある。
 この様な諸問題は直ぐに想像できるが、ゴミのない社会は国民の理解を得やすいであろうから、前向きな検討が必要だろう。
 ゴミを拾いながらそんなことを考えていた。