合理主義者の称号に喜ぶ
2008/12/03記
 先日、市の職員と打合せをしている中で、私の考えが極めて合理主義であるという意見を伺った。言われてみれば思い当たることもあるが、自らの経験による影響も無視できないと思う。
 
 大学を卒業して日本道路公団に入社し、建設業の道を進み始めた。最初に赴任した大阪管理局西宮北管理事務所は名称を神戸管理事務所に変更し、組織変更もしているが、今でも中国自動車道の西宮北IC敷地内に残っているだろう。
 しかし、次の東京第二建設局上田工事事務所は長野オリンピックアクセス道路となる上信越自動車道を手がける事務所で、私は初期の設計担当だった。私がそこを離れても実際の工事のため、10年ほど残っていたが上信越道開通を待って解散された。だからその頃の友人が集まる懐かしい場所は、もう存在していない。
 
 その後、木更津に帰り担当した工事で、常設の事務所を設けるような大きな現場も、例えば東京湾横断道路工事事務所、ちはら台を担当した都市整備公団千葉・市原開発事務所、羽鳥野の造成を行った烏田土地区画整理組合など、幾つか合ったが、その全てが当初目的を達成して解散に至っている。
 
 工事と教育や福祉を並列で語ることに抵抗がある人も居るだろうが、組織というものは目的を達成したら解散する事が望ましいと思う。そうでなければ、組織の維持が目的の組織になり、他の新たな展開への障害にさえなるからである。
  世の中は常に移ろい、愛しいものも失われていくという仏教感に似た理(ことわり)に合うものとして合理主義者という称号は誇りに思い、今回の公立保育園の民営化に関する議会質問に入る。
 
 ※実は、作業ミスで文章を削除してしまい、12月9日に記憶を元に再度掲載したもので、当初と文章は変わっているが、趣旨に大きな違いはない、はずである。