食による街づくりを考える
2009/01/28記
 昨日、群馬からの帰り道で、前から気になっていたローカルフードである行田の【フライ】と【ゼリーフライ】を食べてきた。
 写真は左のコロッケのようなものがゼリーフライで右のお好み焼きのようなものがフライである。何でそんな名前なのかは長くなるので別途調べていただきたい。
 
 出発前にインターネットで調べ始めると行田市の公式ホームページの中にフライマッブなる頁が見つかった。その中で両方を扱っている店を探し、場所が解りやすそうな『かどや』に行ったのだ。料金は写真のように合計で410円であった。
 
 今回、近くまで行ったからとは言え、何故行田まで食べに立ち寄ったかと言うと、先月に読んだ『B級グルメが地方を救う』(田村秀著:集英社新書)で取り上げられていたからである。
 なお、この著者は昭和37年生まれで現在は新潟大学法学部教授であり、他にも同じ出版社から『自治体格差が国を滅ぼす』という本も出している。
 その『B級グルメが地方を救う』は、単なるローカルフードの特集本ではなく、それにより地域づくりをどう捉えるかという視点が盛り込まれている。一部を抜粋すると『地域が衰退していった一因に個性の消失があると私は思う。どこにでもある“銀座商店街”、似たり寄ったりの駅前広場、学校の建物も全国画一で、これでは地域に愛着を持てと言っても土台無理な話である。これは、食についても同様だ。どこでも同じものが食べられるというのは一見すると便利で好ましいことに思えるが、どこにいても一緒ということは様々な条件面で有利な大都市の一人勝ちの状況を容認するだけである。今後ますます都市間競争は激しさを増すだろう。そんななかで地域に住む人々に愛されるB級グルメを持っているところは、そうでないところを一歩リードしていることになるだろう。B級グルメを地域の誇りとして、地域のことを真剣に考える人々が立ち上がらなくては地域の再生などほど遠いのである。』という意見であり、私も同感する。
 
 行田市の場合は市のホームページに検索地図が有る。この事は便利である反面、行政の公平性からしてどの店が美味いとか、どこは不味いとか書けない事に制約がある。
 さぬきうどんがブームになったのはタウン誌が本当に美味い店を発見して取り上げ、優劣をハッキリさせたからである。先日行政視察に行った高松では、うどん屋の組合がそのタウン誌に対し不快感に近い気持ちを持っている事も聞いた。
 万人に対して良い顔をしていては成功は難しいのかと思いながら行田に行った。味については個人の趣味も有るだろうが・・・取りあえずフライブームは起きていないようだった。
 
 周辺にはご当地ラーメンとしての竹岡式というソウルフードが有り、梅の家などは常時行列が出来ているような状況で、木更津の富士家ラーメンも大勢のお客で賑わってる事を考えるとB級グルメという文化が無いわけではない。
 穴子天丼やアサリ飯のような地域特産品も好意的に捉えられ、そこそこの成功を収めているので、積極的に仕掛ける大きな動きは見えてこない。富士宮の焼きそばのような大ブームに成る要素も有りそうなのに勿体ない気もする。
 
 地域外からそのような食を求めて訪れる交流人口は、多くの場合純粋な消費者となり経済を活性化してくれながら、福祉面の行政負担を受けることの少ない有り難い存在でもある。
 昔の新潟県湯沢町のように、そのような交流人口が別荘を大量に求めると、上下水道や道路網の整備などの様に公的負担が増加しながらも税金を納めない問題も出てくるが、単に食を求めてふらっと訪れ、ついでに宿泊や土産物購入を行う程度の旅人は増やして行かねばならない。
 
 木更津を魅力ある町として発信し、地域の再生に取り組むにはどうあるべきか、ゼリーフライを食べながら考えていた。