政治と行政の関係を考える
2009/02/01記
 人事院の谷公士総裁が内閣人事局に人事院の企画立案部門などを移管する構想について反対し、甘利明行政改革担当相との会談で難色を示したばかりか、政府主催の会議にも出席しないと言う抵抗を行っていると報道が伝えている。
 1月31日の報道を要約すれば、官僚ポストの定数を決める権限を持つ人事院が、その権限を内閣人事行政管理局に移管される事に反発し、甘利大臣と谷総裁が23日と26日に交渉したが決裂し、29日の午後に、人事院幹部は理由を告げず、「総裁は出席しない」と、30日の国家公務員制度改革推進本部(本部長・麻生太郎首相)への「ボイコット」方針を伝えたらしい。
 
 この背景には、人事院総裁が国会承認人事であるため、ねじれ国会での新総裁承認は難航が予想されるために首相官邸が弱気になった事と、それを前提に人事院側が強気の姿勢を取っている事が考えられる。
 さらに言えば人事院総裁は公正中立を保つ保障として、裁判官並の強い身分保障が与えられており、欠格条項を満たした場合と、12年以上在任した場合を除くと、国会による訴追に基づく弾劾裁判を経なければ意に反して罷免されることはない。従って、自民党の菅義偉選対副委員長が言うように辞任を求めることしかできないのも弱気になる一因と考えられる。
 
 行政官として問題点を指摘することや法制上の懸念などを提示して、その解決方法を示すとすれば優秀であるが、会議を欠席するなどという行為を見る限り、人事院と政府という行政内の問題に留まらず、政治全般を軽視しているように感じられてならない。
 法律を決めてしまえば従わざるを得ないだろうが、その立法の準備段階での抵抗なので始末が悪い。さらに言えば公務員の『渡り』に対して法律違反の政令を発効するなど、法を法と思っていない節も見られる。一事が万事であり、これでは政治主導による行政改革など出来るものかと思ってしまう。
 
 今回は公務員の人事という問題なので公務員の抵抗という視点で捉えられるが、多くの事柄で行政の抵抗は有るだろう。
 実際の行政事務を行っている公務員にとっては、所詮素人に毛の生えたような政治家が思いつきで口を挟み、勝手なことをされたのでは事務執行が滞り、行政サービスの低下につながるという考えを持っている方も多いだろう。それはその通りと思うことも多い。
 しかし、大きな方向転換に際し、それを決定することは国民の負託を受けた政治の仕事であり、その作業に協力することは行政の義務であるはずだ。
 
 市議会においても、多くの議員が求める事でも行政の動きは機敏と思えない。最近では職員の地域手当や市独自の残土条例などがそのように感じられる事例である。国家公務員組織のように大所帯ではないから話は通じやすいのだが如何せん速度が感じられないと思う事が多いのだ。それでも人事院のような抵抗をしないだけ良いと考えるべきなのか、今回の報道を見ながらそのような事を考えていた。