タブーについて思う | |||
2009/05/06記 | |||
北陸の山からの帰りに群馬県に済む大学時代の友人と飲み、彼の家に泊めて貰って翌朝に見た新聞紙上で忌野清志郎さんの死去を知った。特別に好きな歌手というわけではなかったが、友人が好きだった「トランジスタラジオ」や「雨上がりの夜空に」を高校時代に良く聞いていた思い出がよみがえり、変な空虚さを覚えた。 思い出せば、社会人になって少し経った1988年にチェルノブイリで原発事故が発生し、その事件を元に「原発はいらねぇ」と唄う「サマータイムブルース」を含んだ「COVERS」は東芝EMIが販売を取り止めるという騒動が起こり、別の会社から発売した曲を直ぐに届けてくれた友人も居た。 だが歌を聴いても放送禁止にするほど過激な内容とはとても思えなかった。主張の内容から考えると事故の2年前に集英社文庫から発表された広瀬隆氏が書いた『東京に原発を』とか、事故の2年後に、日立製作所で原子力発電所で圧力容器の設計技師であった田中三彦氏が岩波新書で発表した『原発はなぜ危険か』の方が圧倒的な危機感を呼び起こす内容だったと記憶している。 その後1999年にパンク調にアレンジした「君が代」を収録した「冬の十字架」も、国家国旗法の制定で国会が揉めているという時節を考えてポリドールが発売を控え、またしてもインディーズレーベルから発売する状況に追い込まれるなど、タブーと戦ったロック歌手というイメージは染みついていた。逆に言うと天皇批判を含むように歌詞を変えたならいざ知らず、アレンジだけで販売停止にする大手企業の考え方で「反体制」のイメージを高める結果が生まれたとも言える。今でもそれで良いのかなと思っている。 91年に彼が発売した「パパの歌」をコマーシャルソングに利用した清水建設のCMは、「地図に残る仕事」のキャッチフレーズでCMをした清水建設共々、個人的には建設業界の白眉のCMと思っている。石原裕次郎が熱演した「黒部の太陽」も含め、低下しがちな建設業界へのイメージを下支えする効果が顕著だったから、多少反体制と言われるような歌を歌っても業界の恩人でもあると思っている。 さらに言えば、そもそも反体制と言う程の内容でもないのに、タイムリーな問題をいち早く反応した結果としての反逆者であり、長い目で見れば価値を皆が解ってくれるものだと思っていた。 しかし、今回58歳という若さで亡くなった彼を追悼するラジオを多く聞いたが、「サマータイムブルース」も「君が代」も聞くことはなかった。常に多くのラジオを聴いているのではないから、たまたま流れた時に聞いていないだけかもしれないが、未だに大手スポンサーや天皇制に僅かでも異議を挟むと訪れる特定の右翼に配慮して音楽すら流せないとしたら、まだまだメディアの民主化は進んでいないなと思った。 さて、このHPでも現況に対する多くの批判や意見も記載しているが、電波を通じて不特定多数に送られる媒体でなく、少なくとも検索をして辿り着かねば読めないような文章であるから、購入しないと読めないような書籍と同様程度にタブーは少ない物と考えている。それでも個人情報などの以外で、特定の国の人や業界の人に対する攻撃と思われるような記載を避けたり、世間の常識から大きく外れるような事は避けるよう自主規制をしている。 タブーに対する挑戦でも、まだまだ忌野清志郎さんの世界には遙かに及ばないなと、訃報を読みながら思った。 |