防府市の水害に思う
2009/07/23記
 梅雨も明けたので北アルプスの涼しい稜線を歩いてこようかと山に登ったのだが、初日の20日以降は長期予報を裏切って雨が続く見込みになることが解り、21日の朝9時前に下山を済ませてしまった。帰宅してニュースを見ると山口県防府市で大規模な土石流が起きて多くの被害者が出たことを伝えており、国会の解散の報道はそれに次ぐ扱いになっていた。
 
 被害から1日以上が経過し、多くの被災者が出た老人ホームでは裏の山から下る水路を部分的に暗渠化していたことが報道された。通常の流量は極めて少ないので暗渠化する事に問題は無いと思うが、仮に暗渠が詰まったときや流量が超過したときの対策まで考えていなかったことが残念でならない。
 防府市を始め、瀬戸内海沿岸の都市は年間降水量が少なく、また今までも連続降雨量が700mmを越えるような状況に置かれたことが無かったと報道は伝えている。これは台風などで頻繁に豪雨となる宮崎県や高知県、紀伊半島などのように崩れるべきものは既に崩れてしまっている状況と違い、経験したことが無い雨量で災害が起きていることは理解できる。
 仮に今回の雨量でも土砂崩れが麓まで襲わないような対策を講じていた場合は、山の中は砂防ダムが林立することになり、教育や福祉を削ってでも公共事業費を確保し続けなければ無理な状況であった事は感覚的に理解できる。
 
 問題があるとすると、想定以上の天災が訪れたときの人災を如何に防ぐのかという発想力にあると思う。
 例えば、雨は計画降水量(普通は50年に一度程度現れる強雨)で計算するが、当然50年以上のスパンで考えればそれ以上の強い雨は現れる事は、確率的に妥当であり、また50年に一度の雨は50年後に現れるわけでは無く、明日と翌月に現れ、その後99年間発生しないというケースだって考えられるのである。従って、考え方としては
 @計算の範囲内は通常の施設で対応できるようにする
 A計画を以上のものは施設で対応できなくとも被害を抑える。
 という2段構えで考えることが重要になるのである。
 
 具体的に今回の事例で記載すれば、沢から降りてくる水の量が増えたり、倒木が詰まったりして暗渠以外の部分を流れる事態になった場合でも、それが道路や駐車場を通って川に向かい、建物には向かわないよう、超過状態を想定した造成が行われていたならと思うのである。地形条件や財産権の尊重、事業予算などの制約で困難なことが多いことも解るが重要な視点であると考える。
 急傾斜地の下に住宅や道路を設けない、山間の河川に面した低い土地には居住しないで地盤の安定した高台に移転する、火災の時には延焼しないように広い道路で区分するか要所要所に耐火建築を挟むなど、地道な対応で人的災害を大きく減らすことが可能になるのである。
 
 その一方で、防府市の事例で感心したことは行政が避難勧告を行う前に水の色や音で危険を察知した住民が自主的に地域内に危険を伝え避難を行ったことで、災害の規模の割に被害が少なかったと思われることである。山間の集落で地域の繋がりが強かったことがこの結果を生んでいると考えると、技術的な対応と平行して地域社会の醸成を図ることも重要であると認識した。
 
 災害は防ぎきれないと言う前提の元で、どこまで英知が試されているのか。防府の水害の報道を見ながらその様なことを思っていた。