農政について考える | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009/08/09記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一昨日になる8月7日にJA木更津市本店会議室で開催された木更津市農業振興協議会主催による第9回シンポジウム「木更津市の農業活性化に向けて」に農家総代として出席した。 木更津市農業振興協議会とはこの地域の農政に係わる団体(木更津市・木更津市農業委員会・木更津市農業協同組合・千葉県君津農林振興センター・ぼうそう農業共済組合)が供に行動していくことを目的に設立した団体であると梅澤協議会会長(JA組合長)から説明があったが、近年の取組には頭が下がる思いである。 私が農協の総代となっているのは、近隣で農地を所有している世帯の中から約3年前に選ばれたからであり、それまでは本業が建設業であった状況の中で、木更津市の農業の置かれている状況については報道されているものに毛の生えた程度の知識しかない中での総代はおこがましいと感じていた。 木更津市では数多くの農作物が生産されており、その栽培状況を平成17年農業センサスから引用して本市の面積と比較すると下表の通りである。 |
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野菜類は18種類を軽く越え、果樹についても梨・栗・柿・(表には無いが)ブルーベリー等が作られ、草花や苗木等も多く作られているが、圧倒的に面積が大きいのは水稲である。 このような状況を地域の自給率という観点で把握出来ないものか、昨年3月議会で聞いてみたが、木更津市のレベルで求めることは難しいという回答であった。国の自給率が40%を切ったと騒いでいる割にはローカルに考えることを難しくしている事に疑問を残す所であり、本来で有れば地域別の目標値を設定するべきではないかと思うところである。 さて、今年は7月中の長雨で東北・北海道や北九州での米の収穫が平年より少なくなることが見込まれ、先日もコメ市況調査会社である米穀データバンクより本年産のコメ作況指数予想は「やや不良」となる「96」と予想されていることが発表された。1993年におきた平成の米騒動では作況指数74であったので、そこまで悪い予想ではないが、平年で840[万t]程度の収穫があるので4%ダウンに成れば33.6[万t]の不足が生じるはずである。 しかし、日本の先頭を切って今年最初の新米を出荷した宮崎では不作の予想の中でも前年より価格が下がり13500円/俵に成っているのが現状らしい。これは昨年の米が未だに供給過剰で余っているのが原因である。 米の需要を増やすため、現在の主食用や加工用以外にも需要を増やす政策を進めているようであるが、補助金を受け取るための手続きが複雑で、聞いている限り如何にも官僚が考えた方針に覚えてしまう。 食糧自給率を10年後に50%にするために農水省が考えているイメージをシンポジウム資料から引用すると 一人当たり米消費量を年間61kgから63kgに増やす事で+1.3% 米粉の生産を現状の1万トンから50万トンに増やす事で+1.4% 現在は僅かな生産の飼料用米26万トンに増やす事で+0.1% 裏作で作る小麦を91万トンから180万トンに増やすことで+2.5% 大豆の生産を23万トンから50万トンに増やすことで+1.0% 以上の合計で現状の40%を50%にする事というものである。 最近は飽食の時代で、飢餓が遠くなり、食糧自給率の低下が切迫感を持ってないのは平和である証拠だが、10年経っても国民が必要とする半分しか生産できない状況を想定するあたりが、何とも歯がゆいところだ。シンガポールのような都市国家では仕方がない話であるが、ヨーロッパ諸国で出来ているような農業政策がなぜ日本で出来ないのか、理解することが難しい。 農業政策の専門家でもない私が細かい話まで意見することは正しくないものと思うが、せめて地域間で自給率を競い合うような状況を作り、地域の知恵や工夫を活かせる方が中央統制の現状より良くなるのではないだろうかと、シンポジウムから帰りながら考えていた。 |