報道の責務を思う
2009/08/12記
 今日は日航123便が群馬県御巣鷹の尾根に墜落して24年目となる日である。その日の私は大学4年生で、西日本を自転車で走る旅の途上の長崎から島原を経て三隅半島に向かっている日であり、寝場所に決めた肥後長浜駅で隣の民家から聞こえてくる行方不明のニュースを聞いたものである。翌日からは報道機関が全てこの空前の大事故の報道に染まり、食堂で何処のチャンネルに回しても奄美まで迫っている台風9号のニュースを流してくれない。当時は携帯もインターネットも無いもので、情報不足のまま鹿児島に入り、想像通り台風の直撃を受けることに成ってしまった事を思い出した。
 
 先日の大雨で災害が予想される中、テレビは女優の失踪や逮捕などの芸能ニュースに時間を割き、本来なら注意を喚起すべき高齢者などへの対応を怠っていた。幸い、木更津周辺では大きな災害は起きていなかったが、今年の夏だけでも山口県、福岡県に継いで兵庫県佐用町で多くの方が亡くなった。せめてあんな芸能ニュースだけでなく、繰り返しの注意喚起が出来ていたら・・・・と思うところである。
 
 災害だけでなく、8月30日まで長い時間が与えられている総選挙に向かって、各党のマニフェストを掘り下げるような特集が組まれても良さそうなところなのに、諸団体がどの様に採点したかという表面的な話題に終始しているのが残念でならない。
 
 民間放送局はスポンサーからの広告料収入に頼るため、単位時間あたりの広告料を高くするために視聴率を高めねばならないという経営側の立場も有る意味では解る。しかし、そんな姿勢に終始しているようならライブドアによるフジテレビ買収抗争のように資本の理屈だけに話が進んでも誰も放送局の擁護に立つことも無くなるだろうし、海外資本が日本資本を迂回して買収するような事態になっても仕方がないと思ってしまうだろう。
 
 報道は、その影響力から立法・行政・司法に継ぐ第4の権力という考えがある。Wikipediaによると、『(前略)政治家は法律を作り、官僚は法律の窓口となり、裁判官は法律に合致しているかを審査し、報道者(マスコミ、ジャーナリスト)は法律の内容を伝える、という機能を持つ。報道者は、官報を除けば政府機関に属してはいないが、国民に対し他の権力に匹敵する影響力を持ち得る事からその一つに数えられる。』とある。連日下らない芸能ニュースでテレビが占拠されている現状に怒り、報道の責務を思っているのである。
 
 さて、木更津市での報道というと『83.4MHz木更津エフエム』が存在する。平成7年末に開局され、地元に密着した報道が行われており、港まつり等でも活躍していただいている放送局なのであるが、運営会社の問題で難局に直面している状況である。一度放送事業の免許を返納してしまうと再取得は極めて困難であると考えると継続を願うばかりであるが、公的支援を行うべきなのか、行う場合はどの程度が妥当なのか難しい話である。
 足元の報道についても、色々思わねばならないことが多い。