パソコン依存症を痛感する | ||
2009/11/29記 | ||
11月8日の日曜日に記載してから、思うことの記載が3週間も開いてしまった。その間に記載すべき事が何も無かったどころか、国政では事業仕分けという制度が吹き荒れ、国際的にはドバイの返済猶予申請に伴う急激な円高の進行があり、市内に目を向けても来春の市長選挙候補者の出馬表明や、市の人口が過去最大になったこと、アクア木更津の売却に向けた方向性が見えてきたこと等があり、身の回りでも岩根小学校が創立百周年を祝ったりして、連日「思うこと」が溢れていたのであるが、HP更新作業に費やす時間が確保できず、延び延びになっていた次第である。 活動記録でも記載したが、今から7年弱前の2003年1月に購入したパソコンが起動しなくなり、ハードディスクからデータを抜いてもらったところ、名称と整理方法が変更されたデータとなってしまい、その上復元率が悪くて、連日連夜、宝探しを行っている状況なのである。 今年の春頃に新しいウイルスバスターをインストールしたときから駆動が悪くなり、何度と無くトラブルが起きていた。そのためバックアップの必要性を感じていながら、最近行ったのが9月中旬で、2ヶ月も作業を行っていた自分を深く責めている毎日である。 パソコンが壊れ手元に無い生活が始まると、情報交換の手段としてメールを使っていたことや、議会質問のデータを全て電子的に保管していた事などから、急に不便を感じる始めた。 それだけでなく、文書の作成に当たって、構成前のキーワードやセンテンスを細切れで大量に打ち込んで、それから「てにおは」を付けて意味が通じる形に作り上げていくという私の手法は、パソコンの存在があって可能となるものだから、手書きで文書作成を行わなければ成らなくなると、戸惑ってしまう。さらに自分の字は読みにくいと来ており、やはりパソコンで清書が必要となるのだ。 資料収集に当たっても、インターネットを多用していたので、検索能力が無くなると情報力まで失われるようだ。自分の知識や判断も多くがパソコンに依存していたことを改めて確認した。 仕方がないので直ぐに新しいパソコンを購入して作業を始めたのだが、メールの設定やプリンタードライバーのインストールなどで多くの時間を使っている。ラジカセやテレビのように買ってきたらその場で使えるような、そんなパソコンを開発したら売れるだろうと思ったりもする。 復活できなくなったデータが多いはずなのに、日常では一部を除き、あまり生活には不自由をしていない。いかに読み返すことが少ないデータをため込んでいたのかが解ってしまう。 一部の不自由は、業務の会計などをまとめていたデータと個人的な統計データが見つからないことだ。別に温泉に何ヶ所入ったかなどの資料は生活の上では役には立たないが、そこまで積み上げてきた記録が突然に失われたようであり、データ全体に虚しさを覚え、パソコンを前にしても今ひとつ気力が高まらない。 逆に新パソコンが来るまでの数日間、パソコンに向かうことが出来ない中でゆっくり読書などに時間が費やせ、長時間(と言っても7時間程度)寝ていた日々は、気分が落ち着いていたことに、連日睡眠不足の昨今で気がついた。 パソコン依存の流れは私だけでなく、最近の若者に広まっているだろう。作家の柳田邦男氏が『人の痛みを感じる国家』(新潮文庫)等の本の中で書いているように、精神発達途上に在る児童・生徒がパソコンの全能感や匿名性に染まって、感情の発達を歪めてしまうと将来にわたって心配なことがある。 私もパソコンの黎明期を過ごした経験から思うと、数学的思考法を最初に身につけてからパソコンに向かわないと、パソコンを道具として支配下に置くのでなく、パソコンの情報に左右され精神的に支配下に置かれるような状況が生じないかと心配になる。 全国的に低学年からのパソコン学習を進めており、本市でも実行しているが、本当にそれが正しいのだろうか、とパソコン依存症の日々の中で考えたりするのだった。 |