政策決定と政治を考える | ||
2009/12/13記 | ||
8日に行われた総務常任委員会協議会で、次期行政改革プランの素案が示された。これは現在の行政改革プランである『行政経営アドバンスプラン』が平成21年度に期間満了となるため、平成22年度以降を計画するものである。 目標を「市民のための改革」と位置づけ、今までのアドバンスプランに示された3本の柱(@パートナーシップに基づく行政経営:A行政経営推進に対応した体制づくり:B効率的・効果的な行政サービスの推進)から7本の柱(@官民連携・市民協動の推進:A行政マネジメント機能の充実強化:B量の行政改革とともに質の行政改革:C定員管理の適正化:D人件費の抑制:E市議会の改革:F地方公営企業の経営健全化)に変更し、今後も引き続く厳しい財政状況に対応するとともに、地方分権に伴う権限と財源の移譲に対応する方針を示していく事となる。 素案の概要について企画部より説明があり、私も傍聴していた限りでは、目指すべき方向性に異論はなく、基本的な考え方には賛同するものであるが、何点か気になることが残るのでそれを記載する。 まず、本プランの計画年度である。来年度以降の5年間を設定しているが、現政権の目指す『地方主権』がどの様な制度になるか見えてこない中で、さらに中国の台頭など経済状況が大きく変わりそうな時代の中で、長すぎるのではないかという点である。尤も計画期間中に劇的な変更があった場合はその段階からの次の計画を立てる事で回避できる話なので、取り敢えず大きな問題ではない。 次に、本プランが動き始める平成22年度の直前に木更津市長選挙が行われるという問題がある。現市長が続投するか、考えを継承する新市長が就任する場合は問題無いが、たとえば指定管理や民間委託等は廃止すべきというように考え方を異にする新市長が誕生した場合は、素案と市長の方針が食い違うことになり、民意によって選ばれる市長と異なるプランを行政当局が持ち続けるという事態は、やはり変である。そうで有れば、現在のアドバンスプランを半年程度延長し、次期市長の元でプランを決定するべきと思うのである。 3番目に、この決定の手続きに当たり、総務常任委員会協議会の場では議員の意見を求めることになるが、16日に行われる全員協議会では説明だけで終了することになり、議会の意見を反映することは出来ない。企画部としては、個々の議員が直接意見を持ってきても良いし、市民に対して行うパブリックコメントの場で議員も一市民として意見を提出すれば良いという考え方のようだが、それでは議会という組織の中で個々の意見の差を認めあい、建設的な討論を行うことを全く期待していないことになる。そのような姿勢なのに柱のEとして「市議会の改革」を上げ、素案文章で「執行機関に対する監視機能を自ら高めていくことや、住民の多様な意見を把握し、集約・反映させるための取組を積極的に行っていくとが必要になります。」と記載されているのは冗談としか思えない。 これについては市議会会議規則第14条を準用して、2人以上の賛成者とともに連署して、議長に提出すれば議論をすることが出来ると思うが、このプランは議会議決事項ではないため、本当に準用できるか自信はない。 そもそも、このように行政の骨格に基づくものが議会議決事項でなく行政組織の執行部だけで決まるという事態は、地域に財源と権限が移譲されたときに、市民主体の行政運営を行っていると言えるのだろうか。 そんな事を考えながら翌日の建設常任委員会で上程される「協動のまちづくり条例」に対し調べものをしていたところ、「中心市街地まちづくり活動支援事業」に対応する条例が無く、この事業は形式的には議会決定事項では無いという事に気がついてしまった。 関連する『木更津市中心市街地まちづくり活動支援基金条例』が有り、その審議の中で支援事業の制度の説明が行われるために、議会軽視では無いことは解るが、あくまで基金条例は基金の設置に関する条例なので、本来で有れば『中心市街地まちづくり活動支援条例』が別途有るべきであり、現在のように『木更津市中心市街地まちづくり活動支援金交付要綱』で運営されるのは制度的に問題だろうと思うのである。 なお、この制度を利用して本年度は3件の活動(@5月と11月の矢那川祭り:A偶数月の第3日曜日に行われる内港清掃活動や適宜行われる観察会:B木更津駅東口に開設した民間交番と防犯パトロール)が行われており、その意味では素晴らしい制度であるし、今後中心市街地から全市域に拡大するというのも全く異論は無いのだが、根拠条例が無いと言うことに違和感が残るのだ。 支給条件や手続きの細部まで条例で決めてしまうと、想定外の事態に対しては迅速に応答できないという弊害があることは認める。従って、細目については要項や規則でも構わないと思うのだが、基本的な政策の骨子については条例化するべきだと思う。 そもそも議会とはどうあるべきかという問題につながる部分なので『議会基本条例』の制定が必要だという意見も有るだろうし、必要に応じてその方向に向かって行くべきだと思うが、議員個々の意識や行政当局の考えが同じ高みに立つことが出来れば、議会を規定する条例は不要だという考えも一理あると思う。 現在、私の中では議会基本条例について明確な意見はまとまっていない。そこで、今は政策と議会の件についてのみ考える。 行政の目指す方向が間違っている、という事は無いのであるが、その政策決定に当たって議会の議決や市長選挙というような「政治」が責任を負わなくても良いのだろうか。また、行政当局でどこまで意志決定することが望ましく、意志決定のどの段階に政治が携わるのが民主主義の上では正しいのだろうか。今回の議会ではそのようなことを考えていた。 |