木更津市の人口を考える
2009/12/19記
 11月1日現在の本市の人口が最大を更新したと発表された事は多くの人が記憶しているだろう。具体的に記載すると平成5年9月に記録した125,809人を上回る125,962人を記録したという事である。改めて12月1日現在の人口がまとまったところでデータを整理してみると、近年は丘陵部分の区画整理完了地区に住宅が張り付いてきた影響で下図のグラフに示すように順調に増加を続けており、順調にいけば2011年中頃、早い場合は来年度中に13万都市に成るかもしれない(参考データ)。
 富来田町との合併(昭和46年9月10日)の直後である10月1日の人口は86,600で有ったが、その頃は急激な人口増加を続けており、昭和47年10月に9万人、昭和51年10月には10万人を越え、昭和55年6月の11万人突破までは4年ごとに1万人の増加ペースが続いていたが、12万人を越える昭和60年10月頃には延びが鈍化し、平成6年頃からバブル崩壊による都心回帰現象を受けて人口が減少し、12万人台前半で推移していたものが再度増加に転じたという事で、24年間に渡り安定した12万都市であったものが次の段階に進もうとしていると解釈できる。
 今後はアカデミアパークや金田地区への企業進出が進むことで社会像での人口増かも期待でき、経済の活性化も望まれる所である。現に、過去の上記のグラフで定期的に下に窪みが見られる部分は4月に生じる減少で、原因は高校卒業による地域外への移住と思われるものだが、それが最近では発生していないという事は、子どもの数が減ったこともあるが、交通網の発達で移住せずに通勤を選択していることや、この地域に職場が増えて春に転入するものが増えて打ち消していることが考えられる。
 
 さて、人口増加は出生と死亡の差による自然増とが転入と転出の差による社会増から成っており、それぞれについて年ごとに集計して計年変化を見ると、自然増の急激な変化(少子高齢化)が顕著となり、衝撃を覚える。最近の本市の人口は、死亡が出生を上まり自然減状態であるものを、社会増によって埋めており、順調な人口増加とは言い難い状況であることが解った。
 
 人のことを言える立場ではないが、このグラフを見る限り、本市でも子育てがしやすい環境、子どもを生む雰囲気を醸成しなければならないと考える所である。人口が増えていると安心して奢ることなく、問題点を考えて行かねばならないな、と膨大なデータを整理しながら考えていた。