2009年を振り返る
2009/12/31記
 いよいよ本日で2009年が終わる。昨年も行ったように大晦日には1年を振り返ってみる。
 
 市議会議員としての変化は、2月から議会広報委員会の委員長となり合併調査特別委員会委員も勤めるようになったこと、3月の予算と9月の決算特別委員会の委員となったこと、4回行われる定例議会のうち3月以外の3回で個人質問を行ったこと、6月には建設常任委員会の副委員長に選ばれ基地対策特別委員会の副委員長を終えたこと等が挙げられる。議員も3年目となると慣れてしまい、議会質問等でも緊張しなくなった。慣れで怠惰にならないように来年以降も気を引き締めて行かねばならないと思う。
 
 まず、委員会活動に着目すると次のようになる。
 議会広報委員会としては紙面のA4版化とともに市民が読みやすく理解しやすい構成にするように勤めてきた。表紙と最終面をカラーにして、市の広報誌では伝えにくい内容(例えば大店法の届け出案件)も議会の名において市民に情報開示する取組は、おおむね成功だったと自画自賛している。
 建設常任委員会では「協動のまちづくり条例」を12月議会で制定し、10月には富山市・金沢市・加賀市の視察を行なった。富山市の進めているコンパクトシティは、今後どの様になっていくのか引き続き先進事例として気になるところである。年明けには金田東の件などで色々話題も多くなりそうだ。
 基地対策特別委員会で進めてきた江川総合運動公園の拡張事業については3月に市が作成した基本設計を北関東防衛局に提出し、政権交代で色々気を揉んだものの、この秋には防衛省が財務省に土質調査の予算要求を行ったようでほっとしている。
 合併調査特別委員会には2月から参加しているが、今年は何も具体的な動きがなかった。地方分権が進む中で広域連合制度などの勉強を勧めたいと思うところである。
 
 次に、会派としては1月に広島県世羅町・広島県尾道市・香川県高松市の3ヶ所、7月には千葉県流山市・茨城県小美玉市・群馬県太田市・埼玉県川越市の4ヶ所を視察して来た。視察先の選定から携わっているので、自らが気になる自治体を勉強できて非常に参考となった。また、11月27日には3項目の政策提言を市長に対して行い、会派の活動を市民に開示するための報告書も作成し、年明けの3日に折り込みで配布される予定である。
 
 同期当選組による学習会も持続し、4月3日に小櫃川河口干潟の現地調査、6月18日に社会福祉協議会、10月9日には水道事業の事業概要について聞き取り調査を行った。他には2月17日に四市賢友会で羽田D滑走路の現地調査を行い、個人的にも4月15日に福島県矢祭町もったいない図書館や12月27日に八ツ場ダムの現場などを見てきた。
 
 2009年は政権交代の年として歴史に残るだろうが、個人的にも春の県議補選や夏の衆議院選挙などで、激しい選挙戦を戦うことになった。来春には市長選挙が来る。市議会議員という政治家だから選挙は避けて通れないが、気苦労が絶えない話である。
 
 市政としては3月の給食センター完成や大久保真舟線の開通、5月のアクア木更津運営会社の破綻、10月の請西ロックタウンの開店など色々話題があったが、年末に飛び込んできた金田東での三井アウトレットモールの話が尤もインパクトが大きかったかもしれない。
 
 個人的な事では1月にドバイ、5月に大連、6月に花蓮、11月に桂林と年間4回も海外に出かけ、国内でも高速千円の影響もあり東北や北陸に複数回も足を運び、登山数は18峰にもなってしまった。そのかわりダイビングは1回(3本)だけで、50kmを越えるサイクリングに至っては1回も行うことがなかった。その為か体重が減ることはなかった。来年は引き締めに走ろうと、年末はいつも思うのである。
 読書量は年間に63冊であり、もう少し読んでも良かったかなと思う。HPの更新は私なりにやっているつもりだが、連日実行している同僚もおり、もう少し頑張らねばと思うところである。
 今年一番のショックだったのは11月のパソコン故障だったかもしれない。バックアップの重要さは前にも痛感しながら結局実施していなかった事が明らかになり、自らの愚かさを認識させられた出来事であった。来年は良い年になることを願いながら1年の振り返りを終了したい。